山城知佳子「土の人」を見て

 気づけば11月になりました。あれ、ついこないだまで8月じゃなかったけ…猛暑とか言ってなかったけ…とか考えながら、紅葉した木々を見上げています。

 さて、この前の土日に京都に入ってきました。駆け足のお出かけだったので、行きたいところをピックアップして行きました。行きたいところというのが、「国際報道写真展」、かの有名な「吉田寮」、「京都芸術センター」でした。「国際報道写真展」は学生時代から毎年観にいっています。私のあまりにも狭い世界と視界に、「今現実に起こっていること」を、もちろんほんの氷山の一角でしょうが、知ることができたような気がするのです。

 では、表題にある『山城知佳子「土の人」』ですが、実は私がこの作品を観るのは3回目です。1回目はあいちトリエンナーレ2016で、2回目はKYOTOGRAPHIEで、そして、今回の京都芸術センターで3回目です。

 山城知佳子による映像作品「土の人」はあいちトリエンナーレ2016で発表された作品です。3面の大きな画面で、三つの風景がそれぞれ映し出されます。舞台は沖縄と韓国の済州島で、戦争での虐殺、現在の基地建設問題等、相似した歴史的経験を持つ二つの場所です。

 最初の場面では、泥だらけでぼろぼろの服を纏った人々が、土の上に折り重なって眠っています(もしかしたら死んでいるのかもしれません)。すると、上から粘着質な泥の塊がいくつも落ちてきて、人々は目覚めます。その泥の塊を耳に近づけると声がします。人々は泥に耳をすまし、老人は泥を集めます。

 序盤は静かな場面に低い声がぼそぼそと響く映像だったものが、中盤ではボイスパーカッションに合わせて、飛び交う火花、戦争映像、スポットライトに照らされ踊る人々、それを眺める人々、三つの画面でかわるがわる映し出されます。迫力と圧迫感、狂乱を、画面のこちら側の人間に与えます。もしこの作品の解説を読んでいなかったら、この場面でやっと、この作品のテーマを知るかもしれません。

 ラストでは、真っ白なユリが群生した花畑の中から泥だらけの手が天に向かって伸び、手拍子を始めます。それは、どこか異世界感のある、言ってしまえば天国か極楽のようです。その手拍子が鳴り響く(雨が地面を叩くような音にも聞こえます)中、この作品は終わっていきます。

 終わった後は、「なんだかすごいものを観たなあ」という気持ちと、少しもやもやした気持ちが生まれます。「土の人」の中の一場面、現代の都市部の人間(のように見える)人々が、「あれはなに?」というような顔で遠巻きに”なにか”を見つめているのです。その前後の映像では、穴の中をさまよう老人や、村に住む人々の映像が写るので、彼らが何を見ているのかは私には分かりませんでしたが、もしかしたら、彼らは「傍観者」で、遠くで起こっていると思っている”とてつもなくひどいこと”や”とてつもなく悲しいこと”を、好奇心と他人事で眺めている人々なのかもしれないと思いました。

 山城知佳子さんの作品は、観た後に確実になにかを残す作品です。だからこそ、何度も引き寄せられるように観てしまうのかもしれません。そして、それを観て何を学ぶか何を感じるか、そしてこれからどうするかを考えなくてはならないと感じます。

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