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ボホール旅行記day1 ロストバゲージ

マニラの空港についたとき「ああこれだ」と、私は思った。

だいたいアジアに着くといつも思うのだ。まとわりつく夕暮れ時の湿気、「これくらい暑かったよな」という記憶を上回るその暑さ。ハワイももちろん好きなのだけれど、どちらかというと私はこのじめっとした東南アジアの暑さがなぜか好きだ。そもそも日本の夏だってきらいじゃない。冬よりは夏がずっと好きだ。スニーカーよりもビーサンが好きだし、キリンビールよりもオリオンビールが好きだ。(個人的嗜好です。)

前世というものを特に信じてはいないけれどもあったのだとしたら、まあおそらく、南の方にいたことは間違いないんじゃないか、と思う。それくらいこの空気が、肌に馴染む。

なんといっても、この3年、日本を出ることができなかった。初めて海外旅行へ行った大学4年生のときから(そしてあのモラトリアムの半年間で、バリへ行きグアムへ行きハワイへ行きタイへ行きカンボジアに行った)、だいたい年に1回は日本を出て外の空気を吸ってきた。3年間、外に出なかったのはパスポートを取得して以来初めてのことだったと思う。

この3年、海外へ行けないからという理由で、日本のいろんなところへ行った。沖縄はもちろん、静岡や北海道や新潟や長野や熊本や鹿児島や奄美やもちろん京都や大阪やなんやかんやと、ほんとうに色んなところへでかけた。その結果、私は思った。

もう、旅は日本だけでいんじゃないか。日本にもすばらしい景色はたくさんあって、何より、日本の中にも知らないことは山ほどある。世界に目を向ける前に、日本で知るべきことがたくさんあるんじゃないか。と。

それはまあ、ある意味では真実であり、でもある意味では、「正」では、ない。

3年ぶりに日本を出て感じたのは、まあいつものことながら、私の英語の話せなさっぷりである。3年前、最後に訪れたのはパリとモロッコだった。パリというところはもちろん、公用語はフランス語だ。観光地でもお店でも外国人同士は英語を使ってコミュニケーションを取るわけだけれど、そこには「英語が公用語でない者どうし」の、ある一定の思いやりみたいなものが、あるには、あった。

例えば、セーヌ川クルーズにでかけた時、隣に座った家族は英語を話せず、私たちも英語を話せず、よって、お互いにカタコトにもほどがある英語で、必死にコミュニケーションを図った。子供たち同士も、そうしてなんとか意思を疎通しようとしていた。そういう環境で聞く英語というのは、不思議と、聞き取りやすい。

若かりし頃の子どもたちととなりに座ったフランスの子どもたち

しかしここボホール(フィリピン)という土地は、土地の言語はビサヤ語で、標準語であるタガログ語も話されているそうですが、ほとんどの人が英語を話せる。「英語が話せる人の英語」というのは、「英語が話せない人」にとって、ある意味なかなかどうして聞き取りづらい。で、そういうところの身を置くと、ほんとうに身にしみて、「ああ、英語を話せるようにならなければならない」と、思う。私ももう今年で40になるわけで、いまだに英語をまったく話せないというのはやっぱりちょっと、人生の可能性をかなり、かなりかなり狭めてしまっていると言わざるをえない。

そして結局のところ、こうして海外へやってきて、英語の話せなさに直面し、ああ私はこれにより人生の可能性を狭めてしまっているなあと心から思う、そのことこそが、海外へ行く意味みたいなことのように、思えてくる。

旅へ出るといつも、家で待っているねこたちのことを考える。ねこたちに会いたい…というのはまあもちろんなんですけれども、あの子たちはまず間違いなく、「旅に出たい」なんて考えることはない。「見聞を広げたい」「まだ見ぬ世界を知りたい」みたいな感覚は、まずおそらく皆無である。ねこというのは特に、環境が変わることがストレスになる。だから、ペットホテルに預けるよりも、ペットシッターさんに自宅に来てもらうほうがねこには良いと(基本的には)言われている。うちも、心優しい気心知れたペットシッターさんに、旅行中は毎日来てもらっている。

私はそういうねこたちの性質が、もちろんきらいじゃない。それはそれでいいなあ、と思う。まさに、フィリピンの田舎で、のんびり暮らしているおじさんたちの人生が、それはそれでいいよなあ、と、思うのと同じで。

だけど私は日本で、ねこではなく人間として生まれてしまったわけである。そうすると、なぜだかわからないけれども、(半径5メートルの生活に満足はしつつも)やはり見聞を広めたい、より広い世界を知りたい、という「欲」は出てくる。野心、と人は言うのかもしれない。そういった「欲」に対面し、そしてなんだろうか、そのモチベーションみたいなものを(それが必要なのかはさておき)高めてくれるのはやっぱり、普段の生活から大きく環境を変えたときである。

その「普段の生活から大きく環境を変える」というのは、なんだ日本国内でもできるじゃないか、と、この3年間で思っていたわけだけれど、いざ、外に出てみると、ああやっぱり、「環境を変える」というのは、旅というレベルでいえば海外に出るに越したことはないのだな、と思わされる。自身の無力さを知る、という意味において。

そういったわけで、「自身の無力さを知る」というのは、見聞を広げる大きなモチベーションになるわけだが、このボホールで私は直面することになる。自身の無力さに。

つまり、ロストバゲージである。

スーツケースどこ。

マニラに着いたときに感じたあの高揚感。そして、混雑するGWの東京を抜け出したという、山月記の李徴にも似た(いやちがうか)ちょっとした優越感。それは、ここボホールの空港にて、一瞬にして打ち砕かれることになる。スーツケースが、一つ出てこない。priority baggageのタグまでついたスーツケースである。ああ、李徴。愚かな李徴。

「ちゃんと荷物見てた?ブラウンのリモワ!見てた?見てた?見てた???????」と、夫に言ったところでまあ、仕方ない。(言ったけど。)ボホールの小さな小さな空港で、出てきた荷物はこれで全てだ、と、係員さんが言う。オーマイガ。そこにはむすめの全ての荷物と私の化粧品とコンタクトレンズとめがねが入っている。私の視力なめるんじゃないよ。5cm先のもの見えないよ。どうするんだよ明日から!!!!!!と、思いながら、夫のめがねを借りてみるも、見える距離が1cmくらいしか変わらない。

これがまあ、私のこの旅1日目の記録です。前途多難とはこのことである。ああ、先行き不安。

おまけ。

今回私達はフィリピンエアラインのチケットを取った。理由は、一番安かったからです。フィリピンエアラインはANAのグループなので、本来であれば、ANAのLoungeが使える。が、成田のフィリピンエアラインのターミナルは2。ANAはターミナル1なので、ANALoungeが使えない。5年くらい前にセブ&ボホールへいったときは、ターミナル2にアメリカン航空の「アドミラルズクラブ」があり、それを利用してください、とのことだった。ところがこのアドミラルズクラブ、2020年に閉鎖しているらしい。

で、まあ、今回はLounge使えないね、と言いながら、成田へ行き、チェックインをした。そしたらフィリピンエアラインのチェックインカウンターのお姉さんが、「ANAのスーパーフライヤーズ会員になりますので、第2ターミナルのサクララウンジをご利用いただけます。」と言う。サクララウンジというのは、言わずと知れた、JALさまのLoungeである。ANA会員が、JALのLoungeを使えるという、この状況。これはヤクルトスワローズファンクラブ会員が、東京ドームでジャイアンツのポイント交換ができる、みたいな話である。今だけの措置かもしれないけれど、サクララウンジが使えることなんてないので、貴重な体験でした。(カレーおいしかった。)


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