むしもり

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ヨハネの黙示録14章の解釈

【概要】 1−5節 十四万四千人の人たちの歌う新しい歌 6−13節 三人の御使いが告げる言葉と天からの声 14−20節 雲に乗った方による地の刈り取りと、御使いによる地のぶどうの刈り取り  獣の幻の後、ヨハネはまた別の幻を見る。それは子羊がシオンの山の上に立っており、子羊と共に十四万四千人の人たちがいる光景である。 子羊は黙示録において一貫してキリストを象徴する姿である。子羊の姿で現れているということは、この光景が一種の象徴であるということを意味する。 ●シオンの山 ここ

    • ヨハネの黙示録13章の解釈

      黙示録13章では海から上ってくる獣と地から上ってくる獣が登場する。12章の最後で竜(サタン)が海辺の上に立つが、2頭の獣は竜の支配下にある存在であり、竜の権威のもとに活動する。 11章7節で既に神の二人の証人を殺す「底知れぬところから上ってきた獣」が登場するが、海からの獣は11章の獣と同じ獣であると考えられる。11章の獣が二人の証人と戦って勝つように、この13章の海からの獣も「聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つ」(13:7)。17章でも七つの頭と十本の角という同じ特徴を持つ緋色

      • 処女懐胎の預言について

        旧約聖書のイザヤ書には、イエス・キリストの処女懐胎を預言した箇所があります。  この言葉は新約聖書のマタイの福音書で引用され、イエス・キリストの誕生によってこの預言が成就したと説明されています。  マタイの福音書ではイエスの母マリアは聖霊によって子を宿したと神の御使い(天使)によって説明されており、イザヤ書の引用は、処女なのにみごもったという、通常はあり得ないことが起きたことをもって預言の成就としていることは明らかです。  しかしながら、上記のイザヤ書の引用箇所の、口語訳で

        • 疑問を持ってしまう辛さ

           私の群れはいわゆるディスペンセーション主義的な考え方の強いところで(というより恐らくほぼ元祖),また教派主義を否定する(ということはつまり自分たちは特定の教派・宗派ではなく,唯一正しい集まりだという信仰に立っていることになる).  最近(と言ってもかれこれ数年は経っているが)私は自分の群れのこのような特徴に対して少し疑問に思ってきているのだが,純粋に自分の群れの教えを疑問なく受け入れていたのがそうではなくなってしまうというのはやや精神的に苦しいものがある.  かと言って

        ヨハネの黙示録14章の解釈

          黙示録における「勝利を得る者」についての考察

          七つの教会に対して語られた「勝利を得る者」の記述について それぞれの教会への手紙ごとに七つの内容が語られているが、すべて「勝利を得る者」という言い方で統一されているので、それぞれの手紙が送られた教会にだけ当てはまる言葉ではなく、七つの「勝利を得る者」の記述はすべての教会(のクリスチャン)に当てはまるものとして取るべきである。 1.エペソの教会 エペソの教会に対しては、「神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう」と言われている。これは黙示録22章における新しいエル

          黙示録における「勝利を得る者」についての考察

          オリゲネスが「使徒的伝承」としてキリスト教信仰の規範として挙げている9項目(『センチュリーブックス 人と思想 オリゲネス』(小高毅)p.54-55より)

          (1)唯一の神が存在すること。この神が万物を造り、秩序付けたこと。なにも存在しなかった時、全宇宙が存在するようにされた事。 (2)イエス・キリストは、全被造物に先立って生まれた事。彼は、万物の創造に際して、父に仕え、万物は彼を通して成った事、彼は終わりの時に、己を空しくして人となったが、神であり続けた。その身体は我々の身体と同じであり、ただ処女と聖霊から誕生したという点で異なっている。彼は見せ掛けではなく、真に生まれ、真に苦しみ、真に死に、真に死者の中から復活し、弟子たちに

          オリゲネスが「使徒的伝承」としてキリスト教信仰の規範として挙げている9項目(『センチュリーブックス 人と思想 オリゲネス』(小高毅)p.54-55より)