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不向き不向き氷の世界

今月はいまだかつてない量の原稿を書いたような気がする。一時は物理的に不可能ではないかと危ぶまれたものの、家で一人静かに仕事をするのがあまりにも快適なものだから、筆も滑らかに進み、なんとかなった。原稿執筆という仕事があれやこれやと煩わしい日常からの逃避として機能していたように思う。

ソリチュードは最高だ。孤独に過ごすことの心地よさは、ほかほかのご飯、ふかふかのお布団、ぽかぽかのお風呂に比肩するといってよい。一人で過ごしていても、ロンリネスやアイソレーションに襲われることなく、ソリチュードとして味わい深く感じられるのは、人付き合いが今のところ途切れていないからに違いない。そういう意味で人付き合いは大切だ。

孤独な作業に向いているという確信が年々強まっている。そして、それ以外のことはなにひとつとして向いていないと断言してしまいたい誘惑に駆られる。そもそも、人間として生まれてはみたものの、その人間に向いていなかったのだから、人間として取り組むべき活動に向いているものなど一つとしてあろうはずがない。とはいえ、「向いていないっぽいので、本日をもって人間をやめます」といってやめられるものでもないから困る。人間に向いていない人間からすると「向き不向き」という考え方そのものが荒唐無稽に思えて仕方がない。

私は労働に向いている人間ですという自覚がある人がこの世界にどれだけ存在するのだろうか。しかし、どう自覚していようと、人類は労働せざるを得ない。労働に取り組むうえで、ことさら向き不向きが問題にされるのは、「向いている仕事と向いていない仕事、どちらで働きたいですか」と質問をすることで、働かないという選択肢など初めから存在しないのだと我々を錯覚させるためである。このテクニックを選択話法やダブルバインドと呼ぶ。

人は人に対して向き不向きについて指摘をしたがる。恨みを買うだけだからよせば良いのに、と私としては思わずにはいられない。本人が好きでやっているのだから放っておきなよ、と言いたいところだが、それはそれで冷淡な態度なのかもしれない。さるミュージシャンは、プロデュースしていたバンドの一人に「お前はミュージシャンに向いていない」と伝え、メンバーから外して運転手という役目を与えたそうだ。のちにその人物は舞台監督として大成したから結局俺の忠告は間違っていなかった、というようなことを言っていた。しかし今日では「君さあ、この仕事向いてないんじゃないの?」といった類の発言はパワハラ上司の常套句として広く認知されている。今こうした言葉を投げつけられたらハラスメントだと受け取らざるを得ない。

学生の頃、バイトしていた飲食店で日本を代表する大手レコード会社勤務のオジサマとお話する機会があった。軽音サークルに所属していることを伝えると、「この業界に興味ある?」と尋ねるので、「ええ、そうですね」と曖昧に返答すると、「キミ向いてないよ。押しが弱いから」とあっさり切り捨てられた。

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