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藤井風 オリンピック映画に臨んだ彼に思いをはせて

「藤井風、東京オリンピック公式映画のメインテーマ曲と音楽を担当」
この一報に
「うわぁ、また超えてきた!凄い、凄い!」喜びで色めきたたずにはいられなかった。
いや、最近、こんなサプライズな出来事、風ファンにとっては日常になってきた感もあるのだけれど。
それでも、いつも想像を超えた嬉しい驚きは上書きされていく。
そして、その後のわくわくするような期待の時間もまた楽しく・・・。

けれど、今回はいくぶん様子が違った。
東京2020オリンピック。
この夏の祭典は光と影にまみれながら未だ成仏することなくこの世を彷徨っている亡霊のようにも思える。
一部の日本人にとっては、ある種のトラウマのようなものさえ与えたかもしれない。
「あの日のことは忘れてね・・・」
とにかく色々あったこの祭典。コロナ禍の分断の象徴ともいえるかもしれない。

この一報にSNS上のファンの間では喜びや祝福の声とともに、戸惑いや苛立ち、不安などの声もさざ波のように打ち寄せていた。
それらを眺めているうちに自身の内にも沸き起こる不穏な黒雲・・・。
それを振り払うかのように、映画の予告動画を見た。何度も。

流麗なピアノの音色が響き始め、藤井風の歌声が流れてくる。
一聴しただけで、心をわしっと掴まれるメロディーライン。
美しい・・・。
すでに自身の感情の感じやすい部分がひどく反応している。
「これ、映画館で聞きたいなぁ。泣いてしまうかも・・・」

なんども繰り返し動画を見た。見ながら、              「違うでしょ、違うでしょ、藤井風は人事や政治に関心を寄せるような人じゃない。そんな次元にいる人間ではないんだ。」
やるせないような思いが渦を巻く。

結局、その日一日、嬉しい気持ちと、もやっとした小さなしこりを抱えたまま過ごし、眠りについた。

よく朝、目を覚ました途端、ふいにまったく新しい思いがやってきた。
「そうか、彼は(彼らは)こうなること、当然予測していたはずなんだ。
この仕事を引き受けたこと、そのこと自体が彼のメッセージだったのかも」

世界にあまねくはびこる分断。分断がある限り耐えがたい紛争や不幸はなくならない。
                                 「愛しか感じたくもない もう何の分け隔てもない」
「で、一体何がほしいわけ 誰に勝ちたいわけ」
「みんな同じ星 みんな同じ呼吸」
「みんなひとりでしょ みんなひとつでしょ」
                           

彼の歌のあちこちに散りばめられたメッセージが繰り返し、
思考にがんじがらめになった心に響いてくる。

藤井風の歌が浮かばれないあの祭典の祭神を鎮魂し、然るべき場所へと帰していく。そんな情景が浮かんでくる。(個人的夢想です)

藤井風を知った当時、驚きとともに感じたのは、「とうとう精神の革命家が現れたな」という思いだった。
そうだ。静かに革命は進行している。彼は驚くほどしなやかに、美しく、そして巧妙にその革命を遂行しているのだ。(個人的感想です)

彼はスピリチュアル(精神世界)の人だという人もいるけれど、私はこう思う。
彼は世界精神の人だ、と。                     「一即多、多即一」

テーマ曲「The sun and the moon」の全編を早く聞いてみたい。     真っ平な気持ちで・・・。


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