リアコになることで自分が保てる話

リアコ、それは略さずに言うと、「リアルに恋してる」。アイドルオタクの中でリアコといえば、厄介だったり、寂しいやつだったり、そういう印象があるかと思いますが、私なりのリアコ論を1つここで整理しておきたいと思います。

その前に自分の経験談を少しだけ。半年ほど前、ちょうどnoteの更新を頑張っていた時、私は2年ほど付き合っていた恋人と別れました。それは、価値観の違いや性格の不一致や、そういうものが折り重なって、どうしようもなくなって破錠してしまったものでした。細かいことは省きますが、私から一方的に別れを告げたので、相手はさぞびっくりしただろうと思います。

本当に私は幸せ者なことに、周りに多くの友人がおり、1人でも寂しくない環境に自然になっていったことと、ゼミや課題が思った以上に楽しかったことが救いとなって「1人でも生きていけるんじゃないか?」というところまで至ります。むしろ、恋人がいる時よりも自由な時間が多くなり、その分創作や学問に自分を割り振れるようになったので、健全な生き方になったのかなと思います。

そんな身の上を持ちながら、コロナ禍でひっそりと自宅にいた私は、ある趣味を見つけます。それが、ジャニーズのオタクです。映像の中でいきいきと歌い踊る彼らを見て、私の毎日も色付いていきました。

でも、誰かが隣にいないという寂しさは、そんな私についてまわります。あの別れがあって、私は誰かをもうきちんと愛せないのではないかと不安になっていました。ジャニーズが好きだからと言って、このご時世ですから、本当に会えるわけではありません。もし会えたとしても、彼らはステージの上。客席にいる私とは程遠い存在であるのです。人肌を知ってしまった私には、誰かが隣にいないことが耐えられない日もありました。

どうしてこうも恋人というのは依存性の高いものなのか。それは、自分を気にしてくれる存在だからであり、暖かな安らぎを与えてくれるからであり、なにより愛してくれる存在であるからだと私は思います。そのような、恋人が隣にいる喜びと安らぎを知ってしまった私は、「自分はあれでよかったのだ、1人だから今の生活があるのだ」と時々自分に言い聞かせていました。

そんなある日、友達と通話している最中に、ある記事を目にします。それは、その友達が好きなグループのあるメンバーのソロインタビューだったのですが、それが自分にドンピシャに当てはまる恋愛観で、びっくりしてしまったのです。しかし、私は1度それで失敗しているので、彼のその恋愛観に惹かれながらも、絶対に落ちないだろうなと漠然と考えていました。

しかし、気がついたら彼の言葉を思い出している自分がいるのです。さらに、気がつくと彼の載っている雑誌のページを読み返したりしていました。インタビューを読むと嬉しくなって飛び跳ねたりしました。完全に気のふれたオタクです。でも、彼のオタクだと名乗るには、なんとなく抵抗があったのです。なぜなら、今まで推しに感じていた気持ちとは違う感覚だったから。じゃあこれはなんなんだろう。そう、紛れもなくそれはでした。

自覚してからはもうズブズブです。「きちんと化粧を落としてお風呂に入らないと怒られちゃう」とか、「今日の体づくり頑張ったら彼は褒めてくれる」とか、とにかく自分のことを彼のために置き換える生活が始まりました。そうすることで、自分のやっていること全てをきちんと肯定できるような気になれています。でも彼はそこにいないから実質的には自分のために自分のことを行っているというその状況が、また自分を救って....というように、彼に恋をすることで最終的に自分のためになっているループができあがりました。

身の上話がかなり長くなってしまいました。
リアコはジャニーズオタクの1歩外を出てしまえば、賛否両論あるかと思います。私は、今までまったくリアコになる気持ちがわかりませんでした。それは、偶像に恋愛をすることに対しての偏見とある種の差別的な哀れみ、そして嫌悪感がまざったもので、批判するような人はきっとこれと似たような気持ちを抱いているのだと思います。

でも、愛の形は様々です。恋人がいる人も、好きな人のことを自慢したくてたまらない人、付き合っていることはおろか結婚したことも隠したい人。その表現領域は人それぞれでいいのです。リアコはあくまでも対象が偶像なだけであり、その愛の大きさは恋人に向けるものとなんら変わりません。なぜ、同じ愛を持っているのに片方は批判の対象になってしまうのでしょうか。

好きな人を守るためにちょっと大それたことを言ってしまったり、他人に迷惑をかけるような人は、本当のリアコじゃなくて、ただの厄介で迷惑な人なので、一括りにすべきではないと感じています。迷惑行為と愛は別問題です。

私がどうしても言いたかったのは、この片方にかかる比重が大きい、危うい関係性を、どうか否定しないでほしいということ。リアコは、彼(彼女)自身に恋してるのではなく、そのあくまで作り上げられたイメージを愛し抜いているだけなのです。リアコが多ければ多いほど、その人のパブリックイメージが優れているというわけではありませんが、もしそれを狙ってやっているんだとしたら大成功なので、いいぞもっとやれという気持ちです。

最後に毎日リアコ私がふとした瞬間につぶやく一言でしめたいと思います。

あ〜彼と結婚してェ〜〜!

レッツ!クマ囲みライフ!