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歓喜とは…そう!それは 度を越した喜び。そのことをベートーヴェンに手紙で伝えてみたい。の巻


【ベートーヴェンの忌日に寄せて】

皆さんは真綿で首を絞められるような体験をされたことがあるだろうか。
自分でいうのもなんだが、私は、わりと、そのあたりでは経験豊富である。

はじまりは、幼少期。
寝ていると、まず砂嵐の中にいる。

そして私は、夢うつつの状態で
「あぁ、またはじまった」と思う。
息苦しさで、そこからは眠れず、砂嵐を彷徨う。

翌朝、喉がゼェゼェの私を、すぐに母が病院に連れて行ってくれ
気管支炎の薬をもらうが、ほぼ効かない。結局、2〜3日かかって
ようやく治ってくる。
大人になっても、それは続き、ようやく喘息の診断をもらって、
すぐに薬の効き目を感じたのが、ずいぶんと大人になってからだった。

アラサーになっていた私に、女医さんが聴診器を私の胸にあて
「あなた、これ、喘息よ!」と言って下さった光景が忘れられない。
「続けて、喘息は一生治らないものだから、きちんとその時その時対処しないとね」と
付け加えられた。
ちなみに
気管支喘息について、とてもわかりやすい例えを教えてくださった薬剤師さんがいる。
庭にある水道の蛇口に取り付ける長いホースは、夏は、柔らかく、冬は寒さで硬くなる。人間の気管支も、炎症を起こすと、擦りむいて怪我をした後みたいに、治りながらも炎症の痕がかさぶたのように、硬くなるそうだ。喘息を繰り返すと、気管支の、いわばホースのようなところがどんどん硬くなって細くなってしまうから早め早めの対処が必要である。

しかし、一生治らなくとも結果的に、すぐに効く薬に出会えたことは
私にとって「歓喜」の瞬間だった。
30年の苦しみから、解き放たれた。
腕に貼る薬と、吸入薬で。


歓喜

その意味は
なんというのだろう

そうだ

度を越したよろこび

この言葉を知ったのは、ベートーヴェンの音楽に出会ってからである。
ベートーヴェンの伝記を読んだのも、その頃で、砂嵐の夢の頃とほぼ同時期から
人間関係や学校のことで、悩んでいた私は、自分と比較できないほどの
壮絶なベートーヴェンの人生を本から知ることで、正直ビビった。
そして、とても不思議だった。
耳が聞こえない状態で、多くの素晴らしい楽曲を作り出しているその世界が
本当だったのか……

私は、喘息以外にも、メニエル由来の難聴を季節の変わり目に経験するが、あれは
無音ではない。ピアノの低音が、まるで、自分の真横を走るトラックの音なのだ。
そして、常に「ジーーッ」と蝉が鳴いているような音がする。
それも、喘息と同様、ステロイドを神と崇めながら治して、我慢してだいたい1週間で
なんとか治る。しかし、ベートーヴェンは、30代の頃より、56歳で天国に旅立つまで
ずっとだった。

そのベートーヴェンは、3月26日が忌日である。

もし、私がドイツに行くことがあったら、ベートーヴェンのお墓の前で
お礼を言いたいと思う。
だけど、多分、行く予定はないので、手紙を書くとする。ならば……


『 敬愛する作曲家
     ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン様

前略、日本語で失礼します。
いきなり私事で失礼ながらお礼申し上げたいことがあり、一筆失礼いたします。
中学生の頃、毎日、学校に行くのが嫌で嫌でしょうがない私は、朝から
貴方様の交響曲第6番「田園」を毎朝、大音量で流しながら、
何度も何度も着替える夢に打ち勝ちながら、学校へ行っていました。
つまり、交響曲第6番のおかげで、学校に通えていました。

「田園」は、曲中で鳥が鳴きます。
あれ、とてもいいですね。
あれで、なんとか起きられました。
それに音楽の冒頭から、もう、部屋の空気が良いふうに変わるのです。

ベートーヴェンさま、あなたはドイツの森を散歩なさっていたのが日課とお聞きしました。耳がご不自由とお聞きしましたが、鳥のさえずりが、きっと美しくベートーヴェンさまのお耳元で聞こえていたのだと想像します。
そして森の新鮮な空気がベートーヴェンさまを優しく包んだことでしょう。
そのことを想像しながら、交響曲第6番を拝聴する毎日に、
いつも不思議と元気をもらえていました。
ベートーヴェンさま、本当にありがとうございます。

ところで、余計なお世話だとは思いますが、一言二言よろしいですか?

近年、あなた様の遺髪を分析したところ、鉛の成分がずいぶん見つかったそうです。
鉛は、当時、ワインの酸化防止に使われていたそうですね。

お酒、飲みすぎちゃいますか?

もっというと、作曲に熱中しすぎると、トイレに行かず、ピアノのまわりで用を足していたとか風の噂で聞きました。

それは、あかん!

まぁ、赤塚不二夫大先生もテレビで「座布団におしっこしちゃうよねっ。へへ」と
笑いながら仰っていましたから、なんでしょうか。

天才の特権みたいな。
と思ってます?

あかん!

自分でトイレに行けるなら、行きましょう

それから、発表会などで、ベートーヴェン大先生のソナタを演奏させて
いただく機会がありましたが、いつも、ド下手な演奏で失礼をいたしました。

ただ……

選曲の時、いつも、私には、ベートーヴェンさんの性格のような楽曲が
合っているだろうと、ピアノの先生に言われて、2年連続ソナタでした。
好きです。大好きです。難しいけれど、練習も楽しかったです。
でも、大人になって知りました。
ベートーヴェンさん、あなた、だいぶ短気だったそうですね。
まぁ、いいんです。私も短気な気性は否めません。
私は今世で、ベートーヴェン大先生は来世で、そのあたり
また、なおす努力をお互い頑張るということで(笑)

ワインといえば、南佳孝さんというアーティストが小西康陽さんとコラボして曲を
歌っています。テーブルに一瓶のワイン。風がそよ吹くテラスで。もし僕に神様が電話をかけてきたら…みたいな歌詞で、いい曲なんですよ。
こちらも、部屋の空気が一瞬で変わる曲です。また聴いていただけませんか?
では。長々と拙文を失礼いたしました。』


私は今、良い薬のおかげで、体調はさほど苦労せずに済んでいるが
真綿で首を絞められるような体験は、手を変え品を変え、ジャンルを変えて
次から次とやってくる。
特に、昨年から今年にかけて。
しかし、ふと思う。

この感じ、なんか、知ってる。と……

私は、青天の霹靂には弱いが、じっくりちょっとずつ辛いのは、まずまず
なんとかなる。真綿で首を絞められるような体験は、
おそらく人生の修行のひとつなのだろう。
ベートーヴェンも苦悩の中に歓喜を見い出し、作曲をして、
恋をして、散歩をして、鳥のさえずりや教会の鐘の音を感じた。

そう考えると
あらためて楽曲からも生き方の極意を学べる気がする。


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