【ドラゴンのエッセイ】貴重な経験

 突然だが、俺は身体障がい者だ。そしてたくさんの推しがいる。
 推しといってもCDやBlu-rayを買ったり、彼らが出ているテレビ番組を見る程度だ。しかしその生活を続けて今年で15年になる。唯一の生きがいといっていい。
 推し活の醍醐味といえばライブ、という人が多いが、俺はライブに行ったことがない。これからもおそらく行かないだろう。
 それでも俺は満足している。なぜなら、貴重な経験をしたからだ。それは「メッセージを読まれる」ということ。俺は相葉雅紀くんと二宮和也くんのラジオでメッセージを1回ずつ読まれたことがある。二宮くんのラジオでは、名前も呼んでもらえた。
 タイトルとここまでを読むと単なる自慢のようだが、俺が伝えたいことは別にある。それは、「チャンスは誰にでも平等にある」ということだ。

 ラジオやYouTubeにメッセージを送った時、意識していたことがある。「自分が障がい者であることは絶対に書かない」ということだ。「障がい者だから」という理由で目に留まり、「かわいそうだから読んであげようかな」となるのが嫌だったからだ。もちろんそれだけで読むメッセージの内容が決まるとは思えなかったが、こればかりは自分のプライドとしか言いようがない。
 そしてある日、いきなり相葉くんのラジオで俺のメッセージが読まれた。他愛のない内容だったが相葉くんにハマったらしく、コーナーの大賞をもらった。それから半年くらいして、今度は二宮くんのラジオで読まれた。相葉くんの時はメッセージを読んだのがスタッフさんだったが、今度はちゃんと二宮くん本人が読んでくれた。そのおかげで、二宮くんに名前まで呼んでもらえた。
 この読まれたメッセージはもちろん、今まで送ったすべてのメッセージで「自分が障がい者だ」ということは明かしていない。ちなみに、初投稿からメッセージが読まれるまで4年ほどかかっている。相葉くんと二宮くんそれぞれの番組に毎日5通ずつメッセージを送り続けての4年だ。年末年始も休まず続けた結果、メッセージを送ることはもちろん内容を考えることさえも苦痛に感じなくなっていった。

 もちろん「使える武器はなんでも使うべきだろう」という人もいる。俺の親もそうだった。障がいを「武器」と言ってしまうのはどうかと思うが、その理屈自体はよく分かる。
 しかし、俺は違う考えを持っている。俺たち障がい者が、完全に健常者と同じ条件で判断してもらえる場というのは極端に少ない。さまざまな障がいの種類があるが、見た目や身体の動き、会話の端々などから「こいつは障がい者なんだな」と見られてしまう瞬間がたくさんある。だからこそ俺は数少ない「対等な条件で見てもらえる場」をラジオのメッセージに見出したのだ。障がい者であることを利用しなくても、地道に努力を続ければ報われる瞬間が来る。時には運も味方になってくれる。俺は貴重な経験を通して、そのことを実感した。だからこれからも前向きに生きていけるし、努力も続けられるだろう。

 本来なら、この記事で自分が障がい者であると書くことも「利用」になるのかもしれない。しかし今までの記事で俺が身体障がい者であることには何度も触れているし、今さら隠すのもどうかと思った。
 今回の創作大賞に関しても、俺が障がい者であるかどうかは関係なく公正な審査が行われるだろう。そしておそらく、受賞の可能性はかなり低い。しかし、それでいいのだ。落選したからといって諦める気はない。また次回に向けて文章の研鑽を積めばいいことだから。
「諦めない」ことは、障がいの有無に関係なく誰でもできることだ。自分で抱いた夢なのだから、自分が信じてやらなくてどうする。冒頭にも書いたように、チャンスは誰にでも平等にある。自分の夢を信じることを諦めず、地道に努力を続ければいつか夢は叶うのだ。俺は明日からも、そう信じていつもの努力を続けるだろう。そして、いつか絶対執筆で飯が食えるようになってやる。絶対に諦めない。


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