フェティシズムを大切に?

足フェチとか何とか言って、主に性的嗜好(異常性のある)を指す言葉ですが、比較的最近は、あまり異常性を問題にせず、「私、これだけはこだわりあるんだ、好きでたまらない」などと言った偏愛を表す言葉としても使われているような気がします。

『活字中毒』、みたいなものでしょうか。(違う?)

アルコールフェチとか、または犯罪性のあることを偏愛しているとなるとマズいのでよろしくないと思いますが、 前述の活字中毒のように、どうしてもこれが好き、という理由の無い動機は、 実はあなたの”使命”に関係することがあります。

例えば私は、音楽家でありながら”知識欲”みたいのが強かったのですが、ピアノの練習や音楽の勉強でそれどころではありませんでした。が、レッスンに向けて曲の練習もせず、安部公房などをひたすら読み耽っていたことがありました 笑 

今にしてみれば、私の持ってうまれた個性や人格、性質には、言葉で音楽思想の体系を創ったり、教育の体系を創ることを希求する部分が含まれていたので、別に道を踏み外していたわけではなかったのですね。(かといって、全く本は満足に読めていませんが^▽^;)

音楽家で、学問や読書がすごく好きという人は、割合そんな多くなかったようには思います。やはり、日々の練習がスポーツ選手のように生活の主軸を占めていて、趣味で読書といっても教養人と呼ばれるくらいまでに追及していくのは、よほど強い執着や願望がないと難しいのかもしれません。

スピリチュアルというか宗教的な言葉で言いますと、全ての人には取り換えの効かない使命がありますし、

その人の好きなこと、得意なところ、人との差違、そうしたところに”ミッションとしての仕事”が用意されています。 家庭の主婦であろうと、一従業員であろうと、その人の適性や人生の課題として相応しい道が必ずあります。

勿論、創業者になる、世界一の外科医になる、などは非常に難度が高く、そういう意味では、世界に及ぼす影響力等が使命の種類によって違いますが、勘違いしてはいけないと思われるのは、 価値において、それぞれの使命・人生には変わらずに尊い点があるということです。

また、もし特に好きなことなどなくて無気力だ、というタイプという場合であれば、小さな他人との違いを見逃さずに、それを少しずつ育てていくことが大切なのではないかと思います。

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