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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 35

第四楽章 ブラームスの物語

5、バーデンの夏 
 
 一方、クララもまた変わらず演奏旅行を続けていました。クララ・シューマンの名は、名ピアニストとしてますます高まり、同時にクララの努力の甲斐あって、シューマンの音楽も広く知られるようになっていました。
 ハードなスケジュールをこなすクララは、時に手を痛め苦しむこともありましたが、同じようにピアニストになった長女のマリエが演奏旅行について来て助けてくれるようになり、気持ちも大分楽になりました。

 ブラームスから届く手紙も相変わらずクララにとって大きな慰めです。
約束通り、ブラームスは新しい曲が出来ると必ずクララに楽譜を送り意見を求めていました。
「やはりヨハネスの才能は大したものだわ。もっと認められると良いけれど」
 クララは感心しながら、細かいアドバイスを送るのでした。

 この頃、ブラームスはクララのお誕生日のために「ヘンデルの主題によるピアノのための変奏曲とフーガ」(作品24)という素晴らしいピアノ曲を作曲しています。現在でもピアニストにとって人気のあるこの曲を、クララも大変好んでたびたび演奏したということです。

 そんなクララの心配の種は、まだ小さい子どもたちのことです。
「子どもたちは、私にとって心の奥まで照らす太陽の光のようなものなの」
クララはそう語り、離れて暮らす子どもたちの事をいつも気にかけていました。

 そこで、演奏旅行を休む夏の間だけでも子どもたちとゆっくり過ごせるようにと、避暑地バーデン・バーデンのリヒテンタールに別荘を買う事にしました。
 リヒテンタールは「光の谷」という意味で、その名の通り美しい谷の街です。
 クララの別荘は、子どもたちが「犬小屋」と名付けたような小さな家(と言っても、グランドピアノが3台も置いてあったのですが)でしたが、自然豊かな山の家でクララも子供たちも心から安らぐことができるようになりました。

 この「犬小屋」には当然のようにブラームスもやってきます。それまでも、ブラームスは夏休みやクリスマスをたいていクララ一家過ごしていました。家庭のないブラームスにとって、子どもたちの笑い声やおしゃべりに包まれ、クララの笑顔と共に過ごす日々は掛け替えのないものだったのです。

 夏の昼さがり、木陰でくつろぐ子どもたちに、ご機嫌が良ければブラームスが本を読んでくれることもあります。クララもピアノの練習が終わると、子どもたちと連れだって散歩にでかけます。それは一家にとっては何より大切な時間でした。
 そして夜になれば、ささやかな音楽のつどいが開かれます。
 クララとヨアヒム、そしてブラームス。
 この贅沢な顔ぶれに惹かれて、お客様もたくさんやってきました。そのなかにはロシアの文豪ツルゲーネフや、ピアニストのアントン・ルービンシュタインの顔もみえます。
 そもそも避暑地バーデンには世界中から音楽家や作家、画家などがやってきていて、そういう人たちと友達になって親しくお付き合いすることは、ブラームスにとって大きな刺激とも財産ともなりました。

 すっかりバーデン・バーデンが気に入ったブラームスは、やがて「犬小屋」から歩いてすぐのところに自分も部屋を借りて夏を過ごすようになりました。高台にあり、ながめの良いこの部屋はブラームスのお気に入りの場所となりました。
 残念ながらクララの「犬小屋」は残っていませんが、ブラームスの別荘は記念館になって一般公開されています。(↑の写真)
 
 そして、この別荘からブラームスの数多くの名曲が生まれました。
落ち着いた環境、美しい景色、そしてクララ一家にも見守られ、ようやく作曲に集中する事ができたのでしょう。
 名ピアニストだったタウジヒの為に作曲した「パガニーニの主題による変奏曲」(作品35)や、ヨアヒムにも助言をもらって完成させた「ピアノ五重奏曲」(作品34)など、現在でも名曲として名高い曲ばかりです。

 一方、ウイーンでの穏やかな暮らしの中から生まれたのが「ワルツ集」(作品39)です。  
 他の作品から比べれば本当に小さな曲集ですが、ワルツの大好きなウイーンっ子が家庭などで気軽に演奏できるように一人で弾けるもの、二人で連弾して弾けるもの、簡単に弾けるもの、と3パターンを発表するという念の入れ方で、人気となりました。
 ロマンチックで優しいワルツは、大きな曲を書くことが多いブラームスの、実は子供が好きでお喋りも冗談も好きというもう一つの顔を表しているようにも思えます。

 そして実は、この頃からブラームスは大きな夢であり目標である交響曲の作曲もすこしずつ始めていました。
 ブラームスは大作曲家への道を、ゆっくりと、けれど確実に歩んでいたのでした。


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