千種

ピアノを教えながら 子どもにわかり、大人にも楽しめる そんなクラシックに関するお話を書…

千種

ピアノを教えながら 子どもにわかり、大人にも楽しめる そんなクラシックに関するお話を書いています。 著作 「やさしく読める作曲家の物語」「猫の音楽界シリーズ」全五巻など

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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス34

第四楽章 ブラームスの物語 4、 ウイーンへ 「先生、今年こそウイーンへいらっしゃいませんか?」 1863年の夏、相変わらず決まった仕事もないまま、ハンブルクで作曲を続けるブラームスに、そんな言葉をかけたのは、ハンブルク合唱団のメンバーの一人・ペルタです。ウイーン育ちのペルタは以前からウイーンの自慢話をしていました。   「音楽の都と言えばやはりウイーンですよ。ベートーヴェンやシューベルトが過ごした街ですし、何と言っても伝統がありますからね。 街中に音楽があふれていて、

    • やさしく読める作曲家の物語 33 シューマンとブラームス

      第四楽章 ブラームスの物語 3、葛藤  協奏曲の失敗と、アガーテとの別れのショックから立ち直れないブラームスは足取りも重くハンブルクに戻って来ました。  ところが・・・ 「先生、お待ちしていました。お帰りなさい」 おやおや? 落ち込んでいるはずのブラームスが若い女性たちに笑顔で迎えられています。 実は、彼女たちは前の年からブラームスが指導をしているハンブルク女声合唱団の女の子たちです。 「私も君たちに会うのを楽しみにしていたよ。・・・ずいぶん人数が増えたね」  こ

      • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス  32

        第四楽章 ブラームスの物語   2、新たな道 1857年1月1日  ライプチヒのホール、ゲヴァントハウスは、いつもとは少し違ったざわめきであふれていました。この日、クララ・シューマンはひさびさにこの舞台に立って演奏したのです。 「シューマンさんが亡くなって半年か。やっぱりクララは少しやつれたね。  顔が青白かったよ」 「それはそうでしょう。余りにも色々な事がありましたものね。あんなに若くして未亡人になってお気の毒だこと。私は演奏を聴いて涙が止まらなかったわ」「わたしは

        • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 31

          第四楽章 ブラームスの物語 1、 旅立ちの秋 「いよいよ行くのね」 1956年10月。  ロベルト・シューマンが亡くなって3か月。 深まりゆく秋のデュッセルドルフ駅にブラームスとクララの姿がありました。 「ロベルトが亡くなり、大きな子供たちは寄宿舎や親せきの家に行ってしまい、そしてあなたまで故郷のハンブルクに帰ってしまう・・・。 寂しくなるわ。まるでもう一回お葬式をしているよう。」 いつになく気弱なクララにブラームスも心が揺れます。 「クララ・・・。でも、またすぐ

        やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス34

        • やさしく読める作曲家の物語 33 シューマンとブラームス

        • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス  32

        • やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 31

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 30

          第三楽章 シューマン、ブラームス...そしてクララの物語  3.別れ・・・そして  クリスマスが近づき、クララは途中まで迎えにきてくれたブラームス共に懐かしい我が家に帰ってきました。 「お母さま、お帰りなさい!」  家にたどり着き、子どもたちの笑顔を見ると、クララは旅の疲れも苦労も吹き飛ぶ思いがしました。 「ぼく、こんなに大きくなったよ」 「字が書けるようになったの」 「ヘル・ブラームスがお父様の曲を教えてくださったのよ。あとで聴いてね」「お母さまお土産は?」  にぎ

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 30

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 29

          第三楽章 シューマン、ブラームス…そしてクララの物語    2.それぞれの決意  シューマンが入院したエンデニヒの病院は眺めのよい静かな場所で、彼には二部屋続きの広い部屋が与えられました。病院には、ボンという場所にふさわしく、ベートーベンの銅像もありました。  初めは興奮していたシューマンも、自然に囲まれた病院で過ごすうちに次第に安定したように見えました。その後も良くなったかと思うとまた悪くなり、という事を繰り返しながら、それでも段々病状も気持ちも落ち着いてゆくのでし

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 29

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 28

          第三楽章 シューマン、ブラームス…そしてクララの物語 2、運命  ブラームスが去って火が消えたように寂しくなったシューマン家ですが、実はブラームスと過ごした楽しい日々の裏側で、音楽協会とシューマンの間は、とんでもない事態になっていました。  と言うのは、シューマンが指揮をした10月半ばの教会での演奏会が大失敗で、怒った合唱団はもうシューマンの指揮では歌わないと言いだしたのです。シューマンは自分の世界に入り込み過ぎて、もう他の人の指揮をすることが出来ない状態になっていたの

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 28

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 27

          第三楽章 シューマンとブラームス…そしてクララの物語 1、新しき友、新しき道  さて、お話しをまたシューマン家に戻しましょう。 ブラームスがシューマン家を訪ねてきた翌日。 家の前には、昨日と同じようにブラームスが立っています。 ふう…. 大きく息を吐いて不安な心を追い払うと、彼は勇気を奮い起こしてシューマン家のドアをたたきました。  「シューマン先生はいらっしゃいますか?  あの… き、昨日もお訪ねしたブラームスと言います。  あ、その….ハンブルクから来ました」 ち

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 27

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 26

          第二楽章 少年時代のブラームスの物語 2、運命のとびら   ヨハネスの住むハンブルクはヨーロッパでも指折りの大きな港町で、色々な国の人たちがこの港から遠い国へと旅立って行きます。  そんな旅人達のなかに、ハンガリー人のエドヴァルト・レメーニというヴァイオリニストがいました。  この頃ハンガリーは、支配されていたオーストリアから独立したいと市民達が立ち上がって革命を起こしたのですが、革命はあっけなく失敗。音楽家でありながら革命に加わっていたレメーニは国を追われて、ハンブル

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 26

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 25

          第二楽章 少年時代のブラームスの物語 1、貧しき少年巨匠 「それじゃ、行って来ます・・・」  日が暮れて、あたりがたそがれ色に染まる頃、ヨハネスは金髪を風になびかせながら狭い路地を通り抜けて行きます。  彼は14歳。うつむき加減の青い瞳にまだ子供っぽさが残る少年です。 「いつもすまないね。気をつけて行くんだよ」 お母さんに見送られてヨハネスが向かったのは、小さな酒場です。 「おや、ヨハネス、今日は早いね。」 「こんばんは、おかみさん。今日もよろしくお願いします。」 店

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 25

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 24

          第一楽章 シューマンの物語  23、 病の影  しかし、この音楽監督として2年目の後半、1852年の春頃からシューマンの体調はまた悪くなってしまいます。 「これはリューマチなの。しばらく休めは治るわ」 そうクララは信じていましたが、夜は眠れないしふさぎ込むなど、いわゆる「うつ」の状態が続きます。動作ものろのろとして言葉も重く、とても指揮を出来る状態ではありません。お休みをもらって休養にでかけましたが、効果はありませんでした。 そこで夏には、オランダまで海水浴療法に出か

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 24

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 23

          第一章 シューマンの物語 22、デュッセルドルフ  1850年、9月。  シューマン夫妻と5人の子どもたちはデュッセルドルフに到着します。  街の人たちは、あのシューマンが音楽監督として街にやってくると知り、期待に胸を膨らませていました。  ホテルではヒラーがオーケストラの団員とともに迎えにきていましたし、部屋に入れば窓の下で合唱団が歓迎の歌を歌い、夜食事をしていると今度は隣の部屋でオーケストラの団員たちがモーツァルトのメヌエットを演奏するといった具合。この地方の人たち

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 23

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 22

          第一楽章 シューマンの物語 21、さまざまな別れと実り ウイーンを離れ一度ドレスデンに戻ったあと、シューマン夫妻は「楽園とペリ」が演奏されるベルリンに向かいます。 幸いここでは大歓迎を受け、力を得たシューマンは今度こそ立派なオペラを作ろうと「ゲノフェーファ」という作品に本格的に取り組み始めるのでした。 しかし、そんなシューマンの気持ちを打ち砕くように、6月に生まれつき体の弱かったエミールが1年半という短い人生を閉じてしまいます。 せっかく待望の男の子が生まれたという

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 22

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 21

          第一楽章 シューマンの物語 20、ドレスデン   シューマン一家が越してきたドイツの都市ドレスデンは「北のフィレンツエ」と呼ばれる美しい街です。  街にはエルベ川ゆったりとながれ、そのほとりに見事な建築の教会や宮殿が立ち並んでいます。学問のさかんなライプチヒとはまた違う大都会ですが、この街でも貴族や教会を中心に音楽が愛されていました。  引っ越してしばらくすると、環境を変えたことでシューマンの気持ちも変わったのか、体調は次第に良くなってゆきます。  しかし、いきなり作曲

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 21

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 20

          第一楽章 シューマンの物語 19、病の足音  クララの計画。それはロシアへの演奏旅行でした。  3歳のマリエ、生まれたばかりのエリゼをシューマンの兄夫婦に預けて、シューマン夫妻はロシアに旅立ちました。  この旅でクララは、自分の演奏を聴いてもらうだけでなく、シューマンの交響曲やピアノ五重奏なども広く多くの人に知ってもらおうと考えていました。  二人は、1月25日にベルリンでメンデルスゾーンに会ったあと、現在のリトアニアやラトヴィア、エストニアの街々で演奏会をひらきなが

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 20

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 19

          第一楽章 シューマンの物語 18、 和解・オラトリオの年  1843年は、1月8日にシューマンの作品がゲヴァントハウスで演奏されるという幸せな出来事で始まりました。  そして、クララにもうれしい事がありました。 結婚以来連絡のなかった父・ヴィークから手紙が届いたのです。シューマンや自分に対するお父さんのひどい仕打ちを忘れたわけではありませんが、そこは血を分けた親子、クララにとってたったひとりの大切なお父さんであることに変わりはありません。 「自分に会いにドレスデンに来な

          やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 19