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懐かしいNHK学校音楽コンクールとフォークソング調課題曲「海はなかった」

この記事は、私が発行したメールマガジン「クラシック音楽夜話 Op.109 2003年10月26日(日)」掲載文を加筆編集したものです。

花のまわりで

先日(20年以上前のお話です。毎度古い話ですみません)のNHKの学校音楽コンクール全国大会をテレビで見た。高校部門だったのだが、残念ながら演奏はすでに終わっていて、審査中の時間つぶし(失礼!)にアナウンサーと歌手の錦織健氏によるトークを交え、過去の課題曲をとりあげていた。いやあ、懐かしい…。


(まず、私自身の合唱経験について語ります。)

中学時代は吹奏楽部でホルンを吹いたが、高校では吹奏楽部がなく、仕方なく合唱部に入部した(実はこれがその後の人生の転機となった)

合唱部は北海道で有数の高校合唱部、NHK音楽コンクール道大会出場の常連だった。私の在校中も3年間「北海道大会」でラジオ放送された。残念ながら全国大会にはいけなかったので東京遠征はできなかった)。あの頃予選は放送審査で、スタジオ録音音源を聴き審査員が判定を下す。結果発表はラジオ放送だった。録音のため毎年秋に学校の授業を公式に抜け出し、いや、欠席し、札幌のNHKスタジオで録音した。もうひとつ別のコンクールである全日本合唱連盟主催のコンクールとは別の意味で思い出深い。


番組で流れたのは懐かしい曲ばかり。「花のまわりで」は中学の校内合唱コンクールで歌う曲に先生が推薦し、紅顔の美少年であった私の初の指揮作品であり、見事(?)優勝した(校内でですが)思い出があるが、昭和30年代のNHK課題曲だったとは。他の課題曲も積極的に学校音楽教育に使われたのだろう。だから一般の人にも関わりがないわけではない。NHK合唱コンクールの課題曲は音楽教育と深い結びつきがあったのかもしれない。


課題曲昭和47~49年

ところで、私が高校時代に歌った課題曲は何だっただろう?ということで調べてみた。昭和47年から49年の高校の部

昭和47年 「開演のベルが」 [作詞:中山知子 作曲:末吉保雄]
※「ある日~、ある日ある時~」ピアノは格好良いが、やや現代音楽的で変な歌だった。強烈に印象に残っている。

昭和48年 「博物館の機関車」 [作詞:筒井敬介 作曲:池辺晋一郎]
※池辺晋一郎氏の作曲とは知らなかった。「赤~いキカーンシャ」というテノールの高音ソロが苦しかった。

昭和49年 「ともしびを高くかかげて」[作詞:岩谷時子 作曲:冨田 勲]
※「ら・ら・ランラン(ズンチャーンチャズチャンチャチャン←これピアノのコードによるリズムね)、友達は誰よりいいものだ~」、と、いくら高校生でも恥ずかしくなるこのノーテンキであまりにも正しい日本の青少年的メロディとリズムに度肝を抜かれた。


思えばこれらの課題曲と自由曲を4月から秋まで(つまりコンクール全国大会まで)毎日ひたすら歌い続けたわけである。あの時代は公立高校生の分際で定期演奏会を行うなど許されなかったから、コンクール以外発表の場はない。せいぜい市民文化祭位。お遊び程度に他の歌も歌ったけれど、真剣に練習したのはコンクール用の二曲だけなのだ、毎年。よく続いたもんだ。

大きな声ではいえないし、これまでずっと黙ってきた感想をひとこと。

49年(1974年)の課題曲「ともしびを高くかかげて」には、特にずっこけた。冗談だろう?と正直に感じましたぞ、NHK殿。これは少年少女合唱団が振付付きで歌うような歌だぞ。今なら小学校高学年向けとしても少し違和感のある曲を、高校生が歌ったんですから。

作詞は泣く子も黙るヒットメーカー岩谷時子氏(岩谷氏は40年代、歌謡曲、フォークをはじめジャンルの区別なくあらゆる歌の作詞を担当した多作な詩人です。これぞプロの歌詞。素人の歌の詩とは別の深い趣があります)。

おそらくこういう歌を採用したのは、教育的な配慮というか陰謀というか、青少年を悪の道へ向かわせないための対策だったのかもしれない(笑)。


フォークソング調の課題曲

そして卒業後の夏、昭和50年(1975年)、後輩達の合宿へ合流した時に聞いたその年の課題曲にはもっと驚いた。なんと伴奏としてピアノだけでなく、ギター(それもフォークギターだ!)を使っていいという。

今思い出したが、この作品、前奏がぶっとぶほどの現代音楽的だった。これをフォークギターで表現したのを覚えている。信じられない。今弾けと言われても絶対無理だ。しかし、合唱が始まるとごく普通のメロディに変わる。

曲名は「海はなかった」。

↑Youtube の八鹿高校の合唱はピアノ伴奏のみ。前奏のピアノによる前衛的雰囲気に注目!


後輩達の夏の合宿(積丹半島美国の海辺のお寺の境内)、あの前奏を私と友人のK君と二人でフォークギターで練習し、アルペジオの伴奏で課題曲の練習を手伝った。このウルトラフォークソング調の合唱曲は、それまでの日本合唱曲のイメージを一掃したことだろう。

なにせメロディが素人っぽい、というかシンガーソングライター的なのだ。吉田拓郎氏や井上陽水氏は少し違和感があるが、谷村新司氏が歌えば結構味がありそう。いや、ぴったりじゃないか!

広瀬量平先生はおそらくプロデューサーの希望で意図的にフォーク調に作ったのだろう。リクエストに答えるさすがプロ作曲家!

(ちなみに「海はなかった」が第一曲目となった合唱組曲「海の詩」の他の歌はフォーク調とは無縁の印象の作品だった。)

「海はなかった」を知る読者は何人いるだろうか。合唱経験者以外の人には無名の曲だろう。でも、長々とこんな戯れ言を書いたのは訳がある。

テレビで、番組でこの歌を紹介し、ステージで合唱団が演奏した時に映った錦織氏の表情がとっても良かったからだ。彼はプロのクラシック歌手だ。一般庶民とは別の音楽の世界を歩んでいる人である。その彼も学生時代にはコンクールに出た経験があったらしく、色々な思い出があるのだという。

昔の合唱コンクールの課題曲を聞きながら、懐かしそうに、目を潤ませながら、思わず口ずさんでいるんだから、見ている側も心こみあげてくるものがある。ノスタルジーだろ?と、笑いたい人は笑うがいい。歌には人それぞれの思い出がある。

場内の高校生たちの表情もよかった。この頃悲痛な事件が相次いで起きている。日本の若者達の心はどこへ行ってしまったのか、とやるせない気持ちになることが多いのではないか。しかし、歌を歌うあの高校生たちを見ればそのような杞憂はいっぺんでふっとび、心が洗われる。

コンクールのあり方については私なりの意見はたくさんある。でも、NHKのこのコンクールが私たちに残したものは色々な意味で人それぞれの人生と音楽のアルバムのようなもの。記憶の中に宝物としてとっておきたいし、子供にも伝えたい。そんな特別な曲を1、2曲持つ人は、ちょっと幸せだ。

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