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俺の卒業

時間ぎりぎりまで布団から出なかった。出かけるかどうか迷っていた。でも、あきらめ、部屋を出た。いつもの道をとぼとぼと歩いた。3月の日差しは思った以上に春めいていた。 

卒業式はとっくに始まっていた。 
卒業生の席に座るべきなのだが体育館正面左側の観客席奥へ向かった。 
そこは大学行事における合唱団の席でもあった。後輩達はみなスタンバイしていた。 

「あれ、先輩、どうしたんですか」 
後輩がたずねた。 
「ん?まあ、な。どうも、あっちに座る気になれなくてな。」 
「○○さんたちなど女性先輩たちは皆晴れ着姿で来ていますよ…」 
「そうか。でも、まあ、俺の指定席はここだから。」 

大学の校歌を歌うときが来た。 
私は後輩達が歌う姿を横から眺めていた。 
「今日で、終わりか…」 

卒業式が終わり、各部教室で卒業証書が手渡された後、部室へ向かった。部室では、既に卒業生たちが10人ほど集まっていた。そしてS君がびしょぬれの髪をタオルで拭いていた。 

「まったく…」 

ターゲットにさせられたのはS君だった。
合唱団では、毎年卒業式に、卒業生の一人が後輩達に大学真ん中にある噴水の中に放り込まれる儀式がある。 

「いったい今年は誰が?」と男の卒業生たちはびくびくしていた。もちろんターゲットにされるのは、後輩達から心底慕われてきた先輩の証でもある。いわば勲章のようなもの。S君の口調にはもちろん嬉しさも含まれていた。
決してターゲットにされるはずはない、と納得していたが、少し残念な気がした。 

俺の役目は違うのだ。これだ。

いつものようにギターを手に取り、伴奏をしながら皆で歌った。 

「怪獣のバラード」「さらば青春」「卒業写真」「夢の中へ」「翼をください」「出発(たびだち)の歌」「遠い世界に」等々。4年間皆で何度も、何度も歌った懐かしい歌ばかりだ。数々の合唱曲も心に残ったが、なにより、全員で歌い続けたフォークソングが共通の宝物だった。 

明日からは皆別々になり、それぞれの道を歩むんだ。
最後は笑って別れよう。 

一人が席をたち、また一人減り、とうとうギターと私だけになった。 

晴れ着姿のあの彼女がやってきた。顔を見合わせ少しだけ微笑み合った。 
まぶしくて、まともに姿を見ることはできなかったけど、懐かしい日々を短い時間語り合った。 

「じゃあ、これで。元気でね」 
「うん、またいつか会えるといいね。あ、そうだ」 

使っていた赤いカポタスト(調を調整するためのギターの道具)を彼女に差し出した。彼女はその大きな瞳をさらに大きく開いた。 

「これ…、あげるよ。」 
「え?でも、そんな、いいよぉー」 
「もらって欲しいんだ、君に。故郷でギターを弾くとき使って」 
ためらいがちに彼女はカポタストを手にとり、握りしめた。 

「ありがとう…」 

彼女は少しだけ涙ぐんだ。 

「じゃあ、さようなら」 

遠くまで目で見送った後、暗くなるまで一人で部室に残り、歌い続けた。4年間友たちにささげたたくさんの歌も。時が止まってほしかった。 
もちろん、止まるはずはなかった。 

途方にくれ、腰をあげ、夜半、部室のドアを閉めた。
ギターを抱え、気だるく、ゆっくりと歩き出した。 
俺の卒業だった。

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