ちいさいとき。

三歳のとき。
保育園に入った。大人になってからきいたが、日当たりがいい園を探した結果、そこになったらしい。一緒に入園したのはYちゃん。女子六人、男子六人の小さなクラス。その頃から友達やってる子はRくん。すんごい長い縁だ…
初恋は同じクラスだったYくん。「たまご、たまご~」とからかってくるこだった…

が。しかし、それから1ヶ月後、父が盛岡に転勤になり、一緒に行くことに。

引っ越し先では幼稚園に入った。が、あまり、いい記憶がない。。魔法使いごっこをしていて、すごく長い呪文を思い付いて唱えたら、「もっかい言って」と言われたり。。
なんか、やけに星の王子さまを推奨してる園だったのは覚えている。
今でも覚えてるのは、同じ幼稚園のしらない子のお母さんが、「ほら、あのこ…」と噂してるのをきいていやだった。
かといって、友達が全然いなかったわけではなく、しんくんという、インドだったか、東南アジア系のダブルの子と、あともうひとり、男の子の友達がいた気がする。
しんくんのお母さんは前述の通り外国出身の方で、しんくんの家に遊びに行った時にしんくんのお母さんのお部屋に勝手に友達たちと入ったことがある。地球儀があって、へえぇぇ、とみていたら、しんくんのお母さんに見つかってみんなで叱られた(笑)
 さすが北国で白鳥に幼稚園みんなでパンの耳をあげに行ったこともあったなあ。

雪の日の翌日、私は練馬の家にまた引っ越すことになり、父が幼稚園のみんなと一緒に写真を撮ってくれた。
しばらく私は(覚えてないけど、)幼稚園もいいけど、保育園もいいなあ、とか、保育園もいいけど、幼稚園もいいなあとか、言っていたらしい。

保育園に帰ってくると男子六人女子六人、まったく面子がかわっておらず、びっくりしたのが、一緒に以前保育園に入園したYちゃんがものすごいおしゃべりさんになっていたこと(笑)
「なんでYちゃんはももぐみさんのときはしゃべらなかったのに、ゆりぐみ(年長クラス)さんになったらいっぱいしゃべるの~?」ときいたら、
「…はずかしかったから。」とYちゃん。
子どもは思ったより、いろんなことを覚えている。

本当は、妹が団地の階段から落っこちて頭蓋骨ひび入って私自身は幼馴染みのうちに預けられたりとかなかなかハードな思い出もございますが、詳しくは辛いので省略。

保育園に行かずにおじいちゃんちに預けられていたときもあって、おじいちゃんが、
「たまみもこのまちの保育園さいぐか?」(訳 たまみもこのまちの保育園に行くか?)ときかれたけど、「T保育園に通ってるから、いい。」と、かたくなに断わったこともあったなあ。

田舎のおじいちゃんちでつくってあそぼばかりみていたわたしはおじいちゃんと工作ばかりしていた。周りの家に子どもがいなかったのです💧
雪の日は大きな大きなかまくらをつくり、そのなかでお餅を焼いて食べた。

保育園にもどり、卒園した。まったく記憶がないけれど、当時の連絡帳には祖母と父がお礼の言葉を書いている。卒園式には母も来た。

今でも保育園で仲良くなったRくんはわたしのその頃の、うーん、ことばにたとえるのむずかしいけど、財産?盟友だな。(Rくんは腐れ縁とかいうけどな。。)

そんなちいさいとき。でした。


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