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一首評:近藤かすみ「水滴」より

やのあさっては明後日の次ひらきたる頁に銀のひとすぢの髪

近藤かすみ「水滴」より(『花折断層』収録)

やのあさって」とは、今日から数えて3日後のこと、つまり「明後日の次」の日を指す。「しあさって」はさらに1日後の4日後のこと。ただし、これは地域によって逆なこともある。つまり「しあさって」は3日後で、「やのあさって」は4日後という場合もある。私も後者の方で覚えている。

(今日から数えての)日数を表す言葉としては、ぎりぎり日常生活の中で使う言葉といったところだろうか。

このうたで描かれているシチュエーションは、本を読んでいるところなので、もしかすると、本の中に「やのあさって」という(普段はあまり使わない)言葉に出会って、その意味を頭の中で確認しているのかもしれない。

そうして本を読み進めていると「(次に)ひらきたる頁」に「銀のひとすぢの髪」が挟まっていることを見つける。おそらくは自身の髪。いましがた落ちたかもしれないし、以前読んだ時に挟まったままなのかもしれない。

自らの身体に経過した時間を表徴するような髪。

日付を表す言葉は、無窮の時間の流れを人間の生活のサイズに落とし込む。「やのあさっては明後日の次」というように、2日後の次には必ず3日後がやってくる。そういうことにしている。

しかし、その2日後に、あるいは3日後に、自らの身体の時間がまだ続いて保証はどこにもない。

読んでいる本と同じように、いつかは身体という書物も終わりを告げる。頁に残る「銀のひとすぢの髪」が、身体という書物における何頁目のものなのかは誰にもわからない。

時間の無窮性と身体の有限性を日常から問いかけるようなうただと思う。


最後に補足として。このうたを含む連作を含めての読みになってしまうが、ここで〈作中主体〉が本を読んでいるのは、電車の中でのこと。電車もまた、決められた速度で、乗客の意思とは関係なく、一定方向へと進んでいく。これもまた、身体に経過する時間の比喩と言えるだろう。

目を落とす頁にはかに明るみぬ昼の電車は地上に出でて

近藤かすみ「水滴」より(『花折断層』収録)


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