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一首評:來る「短歌ください」第190回 自由題(『ダ・ヴィンチ』2024年2月号掲載)

コーヒーミルで遺骨を楽に砕けると聞いて新 宿、新宿は晴れ

來る「短歌ください」第190回 自由題(『ダ・ヴィンチ』2024年2月号掲載)

もし私がコーヒーミルで遺骨を砕いたとしたら、そのとき私の手にはどんな感触がのこり、耳にはどんな音がきこえ、そしてどんな景色を見るのだろうか。

短歌とともに寄せられた作者コメントには「散骨のために」と書かれていたとのこと。いくら目的があったとしても、遺骨をコーヒーミルで砕くときには、色々な抵抗を感じそうだ。

四句後半からの「新 宿、新宿は晴れ」という空白と読点で区切られている表記は、あたかもコーヒーミルで遺骨を砕き始める時のハンドルの抵抗感、少しずつ回していき次第に回転が滑らかになる様子を表現しているかのようだ。

遺骨を砕くときの音は、私ならばできれば耳にしたくない。好きな音楽でも轟音でかけたいところ。「新宿は」で始まり天気を表す言葉につながるフレーズは、東京事変の『群青日和』(「新宿は豪雨」)を想起させる。もしかするとこのうたの〈作中主体〉も、そんな音楽を聴きながらコーヒーミルのハンドルを回したのかもしれない。そんな妄想をしてしまう。

そうして、遺骨をコーヒーミルで砕くひとの目には、晴れの日の喧騒の新宿が広がる。

コーヒーミルで遺骨を砕くひとは、パラレルワールドとしての「新宿」に降り立つのだろう。

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