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本当に大切なことは少し時間を置いてから分かる

 次はどんな仕事をしようかと考えている。しかし、そもそも私に何ができるのか分からない。母親業以外の役目とは何なのだろう。そういった課題が目の前にずっと漂っていて何となく落ち着かない。
 落ち着かないから、早く何か答えを探さねばと焦っていた。形にしたい根を下ろしたい、目の前にあるものを育み守る状態を欲していた。
 気がつくとスピリチュアリティに偏って、カードなどを購入したり、勢いで前回から2週間も経っていないのにリーディングを申し込んだ。リーディングが終わると落ち着くどころか逆に嫌な気分になった。別に悪いことを言われたわけではないけれど歓迎されている気がせず、私の行いは間違っているように感じられた。別の意味で落ち着かないまま、その日の夜にひょんなことから霊能者のセッション価格を見た時に自分の中の針が真ん中を指した気がした。
 以前、とある宗教団体に所属している人に選挙前に必ず食事に誘われたことを思い出す。両親の影響で生まれつき信じている神様がいる人程度に思っていたけれど、食事のあとは必ず政治の話。みんなの暮らしのためにあなたの幸せのためにと熱弁を聞いた。その活動はたぶん間違っているとはいえない。いえないけれど私はその言葉の中には私がすきな真心は含まれていないというか、全くもって足らないといつも感じていた。そうこうするうちに、だんだんやり方が乱暴になっていったので、自然と遠ざかることになった。
 私が信じたいこと興味があることは、霊能者の方のそれや勧誘活動のそれとは違う。彼らには彼らの生き方があってそれを否定するつもりはないけれど、私からみると他者を尊重しているようにはどうしても思えないのだ。

 ロミロミプラクティショナーの方の話を何回も何回も聞いている。すべてにリスペクトするという考え方とセルフケアの大切さを話されていて、聞いていると自然とおなかの辺りがあたたかくなってくる。
 ロミロミは受けてみたい。それは私の純粋な希望。自分の中に流れている血に敬意を払いたい。それは自分のルーツを調べるまでもなく、私という存在がつくられるまでには多くの人が命のバトンを渡してきた軌跡があるからだ。そのことを尊く感じる。人に魂が宿るように、ものにも自然にも魂が宿る考え方を尊く感じる。

 私に何ができるのだろうと日々考えているけれど、周りの人や家族が健やかに暮らせるようにサポートをすることが私の務めなのかもしれない。そのために必要な知識を身につけることはきっと私の課題だ。
 何かになろうではなく私が私になることが重要であり、大切な人を支えることは私の役目に違いない。

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