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日本の伝統的な思想は「清いこと」を尊ぶ。
清いとは、淀みがないこと。汚れがないこと。

具体的にはどういったことが思い浮かぶだろう。
個人的なイメージだと、

清いとは、誠実であること。
清いとは、正直であること。
清いとは、真っ直ぐであること。

こんなところだろうか。

無意識的に「清く」ありたいと思う人も多いのではないだろうか。
日々少しずつ、自分の心の中に澱が溜まっていくような感覚を持ちながら、重くなる心や頭を持て余して、「清く」ありたいと思う心を殺しながら、自分に嘘をつきながら生きている人もたくさんいるのではないだろうか。

今の自分は、多分そうだと思う。
組織のために、自分の心に嘘をつき、組織の中で本音で言葉を語ることができなくなっている。なんて不自由なんだろう。
そうやって自分の状況を自覚するたびに、心の中に淀みや澱が溜まっていく。

もっと真っ直ぐな心で生きたい。
自分らしく、心の指し示す方向に歩いて行きたい。
でもその方向が、目の前が淀んでいてはわからない。

このまま、このまま変わらずでいいの?
この道を進んだんでいいの?

決めるのは、自分だ。

だからこそ、自分自身がクリアであり、「清く」ありたいと願うのは必然。
日々自分自身をクリアにし、自分の心の声をちゃんと聞くことができる状況にしておくためにおすすめなのが瞑想。つい声の大きな他人の意見から成る他人軸でモノを考えがちだが、自分自身の小さな声を聞いて、自分軸でモノを考えられるようにするために、瞑想はとても大切な行為だ。

そしてもう一つ。
日本の思想の一つである神道において、半年に一回、「清い」状態に戻すための大切な儀式がある。毎年6月と12月に神社で行われる大祓という儀式がそうだ。

日本の思想において、心の中の淀や澱を「穢れ」と呼ぶ。
この「穢れ」をきれいにし、「清い」状態に戻すための儀式を「祓い」という。
簡単に言うと、自分にとって悪いモノを取り去るということ。

昔から日本には大祓がある。つまり、太古の昔から自分の心に「穢れ」が溜まるのは普通のことと考えられており、それを半年に一回リセットして、自分の心をニュートラルな状態に戻そうという考えが存在している。

自分が穢れていくこと、重くなっていくことを罪だと思わなくていい。
これは生きていく中で普通のこと。
ただ、この状態がずっと続くと自分にとって最適な判断を下せなくなってしまうから、半年に一回、大祓で自分をクリアにすればいい。

特に今年は本当にいろいろあった。変化を余儀なくされた人もいれば、自分自身で変化の必要性を感じた人もいるだろう。変化が目前に来ると、心が揺れ動く。それも普通のこと。
その度に心が疲れた人もいるだろう。心が重くなった人もいるかもしれない。

今は歴史上でも、きっと一つの大変革期。
自分で自分の人生を選ぶことができるために。自分の選択を後悔しないでいいように。
まずは自分自身を清めてみることを今年の最後に行ってみてはどうだろう。

現状を踏まえてなかなか神社に足を運べない人もいるだろう。
そんな方にはオンライン大祓がおすすめ。エネルギッシュな照天神社の神主さんとのコラボレーション企画第二弾。詳細は以下のホームページにて。

今年一年の総まとめ。
自分をきれいに。清くしよう。
そして、新しい年をかろやかに、自分らしく駆け抜けられるように。
自分にちょっと、手をかけてみませんか。

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