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一粒

しきれない。
お伝えしきれない、というもどかしさ。

自由学園明日館での青の手しごと。
今回は、婦人之友のにしむらあきこさんとの対談記事を中心とした構成。
にしむらあきこさんは初日と最終日に来られるので、それ以外の日は私やうさ村さんがどっぷりあきこさんの作品にま向かう時間をいただいています。

ほんの10分もしないで池袋駅だというのに、この空間の静けさはどこから来るのだろう。
人の意思と智慧と善意が時の中でつながって、この空間が育まれ、今の時代にも続いている。その実りの中で過ごさせていただいていることは、当たり前のことでなくて、感謝すべきことなんだとしみじみ思う。

静かな空間とはいえ、展覧会を訪ねてくださる方は、平日でもしっかりとある。百貨店や繁華街とは違うけれど、想いの密度が豊かなのだ。作品を見たい、触れたい、感じたい、という想いが来場者のおひとりおひとりから伝わってくる。

と、私には来場者のパッションが伝わってくるのに、私は自分のというかこの展覧会のパッションが伝えられているのかな。と思うと、気持ちが小さくなる。作品が素材?だとすれば、変に料理をせずに、素材を正確に伝えることが大切だと思って入るけれど、料理する必要はなくとも、もっとその良さを伝え手の想いと響かせてもよいのではないだろうか、と。

刈りたての芝生が、揺らぎのある古い硝子の窓越しに見える。
明日館での時間は、日々の仕事とはひと味違ったもので、心や思考の整え、ストレッチにもなる。そして、心や思考の巡りがよくなって、新鮮な血が通いだす気がする。

にしむらさんの才能の泉の深さにあらためて震える。
いつもにニコニコ謙虚だから、ついそのお人柄に引っ張られてしまい、このひとの凄さが霞んでしまいがちだけれど、この明日館でその作品世界にま向かう時間の中で、これはすごいことになっていくんだろうなと確信する。
もっとどんどん為すべきことを生してほしい。私はそのための一粒の力でありたい。


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