猫のこと
好きなこと、興味のある事が書かれた記事や、挿絵や写真が美しいもの、レシピ、雑誌の切り抜きを大切に保管してあるファイルがある
その中の、2006年の新聞の、うちの猫とそっくりで思わず切り抜いた大切な1枚
鹿島茂とプロット
猫は好きではなかった
猫も、犬も、他の動物も可愛いとは思うけどそんなに好きではない
嫌いというより、好きとは言えないのではないか?といういくつかの理由から、好きではないにしておく
もの書く人のそばには猫がいるらしいから、嘘でもそう言っておきたいくらいだが、好きではない
じゃれて飛び掛かる小さい犬も怖いし、怖がられた飼い主の方にも悪いので、すれ違いそうになったら道の反対側へそろりと移動する
すぐ手を洗える状況なら触ってみたいときもあるが、そうでないならちょっと出来ない
うさぎを触って目が腫れたり痒くなってから怖いのだ
そんな私の家に猫がいたのは17年間で、いっしょに過ごしたのは家を出る30歳までの15年間
ある秋の頃、赤ちゃん猫の大きな鳴き声がどこからか聞こえてきた
3日間ほど続き、『見たらあかん、あんた飼いたいっていうに決まってるし』と私を牽制した姉が早々と家に招き入れてしまったのだ
手のひらに乗るほどのその小さな猫はすごい勢いで牛乳を飲み、排泄をし、日に日に大きくなっていった
一度犬を飼った事があるくらいの両親、ペットを飼ったことのない我々姉妹はてんやわんやしその赤ちゃん猫中心の生活を送っていた
近所の猫好きの方に教わりつつ、根気強くトイレのしつけをし、エサ・水・トイレの片付けに明け暮れた
落ち着いた頃には階段を上れるようなり、跳躍力を身につけたその猫は、甘やかされてやりたい放題暮らしていた
私はそういったしつけや世話はやや戦力外だったのと、目が痒くなるかもと少し距離を置いて接していた
姉が連れてきた、ただ家にいる生き物という感じ
その関係性がはっきり変わったのは3年後、大学生になった頃
帰宅し、玄関を開けると猫がいる
手を洗って、うがいをする洗面所にも猫がいる
食事のとき椅子に座ると、足下にいた猫が背もたれに移動する
食事中は触らない時撫でないが、背中にいる
お風呂に入っているとき、お風呂の前に影がうつる
敷いた布団にはもう猫がのっている
寝るときも寝返りがうてないので、おろすがすぐ戻ってきて私の上で寝ている
朝私が動き出すと、一緒に階段を降りトイレを済ませ、エサをもらう
悲しいことや悔しいことを抱えて帰ってきては部屋で涙を流していた時、私をじっと見つめていた
体調が悪く床に伏しているときも、枕元で私の顔を覗き込むようにして横にいた
私が家にいるとき、猫はいつもそばにいた
撫でろと頭を差し出されれば撫で、ここがかゆいあそこがかゆいと体勢を変えれば搔いてやる
触ったら手を洗い、布団の毛を毎日コロコロでとり、しょっちゅう洗ったり(猫を)大変だったし、身の回りの物が猫の毛だらけになって閉口したが、お互いに少し大人になった私たちはとても仲良しになった
もう、とにかく可愛かった
よく肥えて、艶があり、茄子のような姿も可愛かった
働きだしても猫とは仲良く暮らしていたが、どうしても実家にいられない(いたくない)状態になり、部屋を決めたら逃げるように2週間ほどで引っ越した
親には、私を育て生活させてもらった感謝の気持はあったが、一緒に暮らす生活には自分でも怖いほど未練はなかった
引っ越しの日、せっせと作業する横で悪さもせずエサの時間が過ぎても催促のギャン鳴きもせず、じっとこちらを目で追っていた
その視線につかまらないように『バイバイ、また来るから』と引っ越しを済ませた
猫と離れることだけが辛かった
その後も実家へ寄るときの楽しみは猫に会えることだけだった
ある日、餌を食べないし寝てばかりいる、と父から連絡があり駆けつけたら、細い目を開け私を見つめた
しばらくそばにいたが、バサバサの毛並みやしんどそうな様子がいたたまれなくなって家を出ようとしたその時、玄関までヨタヨタと歩いてきたのだ
そんな事が2、3日続いたあと猫は旅立った
玄関までフラフラと見送りに来たとき見た姿が最後の姿だった
しばらくは夜中に目が醒めて、思い出しては涙がとまらかった
町田康の『猫にかまけて』も読めなくなってしまった
自分には誰かや何かを慈しむとか愛するとかいう心が欠けているのではないか?と真剣に悩んだこともあったが、私の中にはそれらが存在していることを知った
猫派とか、犬派とか、ではなく、あの猫が大好きだった
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