才能と人から評価されることについての話

 昔は「すごい」とか「天才」とか言われると、それだけで舞い上がっていた。嬉しくなって、にこにこして「ありがとうございます」と大げさに感謝した。

 今、才能のことで褒められると、私は素直に受け取れない。表面では微笑んで頭を下げるが、内心では舌打ちをしている。
「君には才能がある」
「あなたはきっと大成する」
 そんなことを言われるたびに、私は喉の奥がぎゅっと掴まれるような、嫌な感じに襲われる。才能? 才能ってなんだ? 私にはそれがよく分からない。

 文章力は並みか、それ以下だ。
 このご時世、文章がまぁまぁ書ける人間なんて、いくらでもいる。このnoteというサイトを適当に眺めていても、私より文章がうまい人はいくらでも見つかる。
 表現が豊かで、言葉のリズムは淀みなく、読んでいて楽しい文章を書ける人は、わんさかいる。いすぎるくらいだ。
 プロでなくても、そのレベルで書ける人が、数えきれないほどいる。そんな時代に自分の文章は他よりずっと優れているだなんて思い込めるほど、私の頭はおかしくない。
 文章力をもし数値化して順位付けできるとしたら、私はこのサイト内では真ん中より下かもしれない。
 私は自分の文章に全然自信がない。


 小説の方は、事情はもう少し複雑だ。

 私は何度か勇気を出して編集業をやっている方に小説を読んでもらったことがある。当然見てもらうのは、最近書いたものの中で一番出来がいい作品だ。
 褒めては貰えるものの、当たり障りのない答えばかり返ってきた。
「新人賞頑張ってください」
 結局、どれだけ褒めてくれても最終的にはそれだ。でも私は、私の作品で何かの賞をとることはできないような気がしている。実際、二度送ってみたが、両方とも一次選考で落ちた。それじゃ、なんにも分からん。
 試しに図書館にあった「一次選考を突破する方法」みたいな本を何冊か読んでみたが、酷い内容だった。文章の基礎の話を除けば、いかに面白い話を書くかとか、流行をどう先取りするかとか、そういう話ばかりだった。

 そもそも文章というのは、何か絶対的な優劣があるものではなく、読み手がどう受け取るかによって評価が決定される。私がどれだけ自信満々に「これは素晴らしい!」と思ったところで、読んだ人が「よく分からない」と思ったなら、何の意味もない。そして、賞をとる作品というのは、悲しいことに「出来がいい作品」や「今までにないような作品」ではなく「売れそうな作品」だ。この社会において「好かれそうな作品」「反響がありそうな作品」だ。
 私の書く話は、そういう話ではないのだ。話題性なんてない。ただ私は、人間の心の深い部分を書きたいだけで、それ以外の作品は書けないのだ。
 
 評価されることのないような人間に、才能? あるわけないじゃないか。一体それは何の才能なんだ? 考える才能? それとも、人に褒めてもらえる才能? それとも、才能があると思ってもらえる才能? 
 それはどちらかというと、能力だ。後天的に獲得した、獲得せざるをえなかった、悲しい嘘の技術だ。

 前、私の書いたエッセイを友達に読んでもらったら「このレベルで書き続けられるなら、それを投稿すればすぐにみんな読むようになるよ」と彼女は言った。
 私は人の言うことをすぐ真に受けてしまう。人が適当に言ったことを、真剣に受け止め過ぎてしまう。だからそれで、失望して、疲れて、なんだか嫌になって、こんな文章を書き始める。

 どうせ私は評価されない。私が「いい」と思ったものも、人には伝わらない。感性が違いすぎるのだ。

 時代が追い付いていないのかもしれない。そうだったら、いいのに。でも実際には、ただ私がずれてるだけなんだ。きっと。

 私は私が書きたい話を書いてる。私が読んでいて楽しい話を書いてる。私は私の書いた話に満足している。
 それなのに、まだ足りないと思ってる。分からない。私はきっと、人に認めてもらいたいのだと思う。

 私が「いい」と思ったものを、他の人も「いい」と思っていてほしいのだ。自分に自信を持ち切れないから、「これでいいのだ」とどっしり構えてただ待つということが、できないのだ。

 私は何か、途方もない勘違いをしているのではないかと、恐ろしくなってしまう。


 私はなぜ、自分が評価されないのか分からない。

 いや、正直に言ってしまおう。
 私が書いたもののうち、私が「どうでもいいわ」と思ったものの方が「スキ」がよくつき、私が真剣に書いて評価してもらいたいと思った作品は、ほぼ誰も見向きもしない。そういう現実に、うんざりして、困惑して、気持ちが悪くなっているのだ。

 狙って書いたわけじゃない。ただ悪ふざけで書いたようなものばかりに「スキ」が多くつく。分からない! 分からないんだ。

 いや、ほんとは分かってる。皆、分かりやすいものが好きなんだ。簡単なものが好きなんだ。見慣れたものが好きなんだ。

 難しいものや、深いものは、苦手なんだ。だって、見えないから。

 実は、分かってる。確かに私には、才能がある。分かる人にしか分からないようなものを、私は書いている。書き続けている。
 時々悪ふざけに簡単なものを書いて、評価されにいってもいい。どうしても人から褒めてもらいたいなら、そう言えばいい。

 私は知っている。

「みんな、私を褒めて!」
 ただその一言だけで「スキ」が大量につく。なんてくだらないんだろう。ほとんどの人は、簡単なことが好きなのだ。分かりやすいことが好きなのだ。楽なことが好きなのだ。単純なことが好きなのだ。自分の知ってることが好きなのだ。自分とよく似た人間が好きなのだ。

 私は自分が、ほとんど誰からも評価されない人間であるような気がしている。

 私は知っている。まともに読んでもいないのに、人の記事にスキをつけて回って、やたらめったらにフォローして、適当に「女の子は普段こんなことを考えてる!」とか「ネトゲで上手に異性と出会う方法!」みたいな程度の低いことを、ある程度分かりやすく丁寧に書いてたら、たくさんの人に見てもらえる。お金を稼ぐこともできると思う。
 「『スキ』をつけてくれたら、必ずお返しに、一番いいと思った記事をスキしに行きます!」みたいなことをすれば、すーぐにスキもフォローも増える。表示される機会が増えれば、当然見てくれる人も増える。

 結局、私たちがそういうことをしない理由は、良心がそれを許さないからなんだ。あるいは、そういうことをしている連中を、心の底から気持ち悪いと思っているからなんだ。

 でも、目的のためなら手段を問わないということも、時に必要なことなのかもしれない。私はただ我儘で、自分がやりやすいような手段しかとらないようにしているだけなのかもしれない。

 楽になる方法は知っている。今のところは、楽にならない道を選んでる。君はどう思う。

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