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「おもしろそう」と「おもしろい」は別物なので…

皆さん「おもしろそう!」と思って読み始めた小説が「期待外れ」だったことって、ありませんか?

逆に、読む前は特に「おもしろそう」と思わなかった小説が、読んでみたら意外と「おもしろい」ことって、ありませんか?

「おもしろそう」と「おもしろい」って、実は別物なんですよね。

なぜなら「おもしろそう」は小説を読む前に抱く感情。

「おもしろい」は実際に読んでいる最中に抱く感情だからです。

■読者は「おもしろそう」に惑わされる

皆さん、意外とこの「おもしろそう」と「おもしろい」の違いに気づいていない…というか、普段「全く意識していない」のではないでしょうか?

「おもしろそう」とはすなわち、読者の「おもしろい小説センサー」です。

「おもしろそう!」と思ったのに、実際読んだら「おもしろくなかった」ということは、このセンサーの感度が悪いということなのです。

なので、なかなか面白い小説が見つからない時には、まず自分の「おもしろそう!」を疑った方が良いのですが…

おそらく読者の多くは「おもしろくなかったのは作者や作品のせい」と決めつけ、自分を省みることなどしないのではないでしょうか?

それはある意味では間違っていないのかも知れませんが…「おもしろい小説センサー」の感度が上がらなければ、この先もかなりの頻度で「おもしろくない小説」に引っかかり続けることになります。

そんなことで時間を無駄にするよりも、センサーの感度を上げて「おもしろい小説を見つけられる確率」をUPさせた方が良くないですか?

「おもしろそう」を疑うということは、それまでとは小説の「選び方」を変えてみるということです。

それまでの「おもしろそう」で面白い小説が引っかからなかったなら、それまで「おもしろそう」と思わなかったものにまで手を広げてみることです。

それまでランキングから小説を選んで「おもしろくなかった」のなら、今度は検索などの別の手段で小説を探してみれば良いのです。

それまで特定のジャンルばかりを選んで「おもしろくなかった」なら、今度は別のジャンルにチャレンジしてみれば良いのです。

結局失敗してハズレを引くこともあるでしょうが…

そんな時こそ「『おもしろそう』に思えたのに、どうして『おもしろくなかった』のか」「そもそも何で自分は、この作品を『おもしろそう』だと思ったのか」そのギャップを見つめ直して、センサーの感度を修正していけば良いのです。

■「おもしろそう」は両刃の剣(人は呼べるがハードルも上がる)

作品を「おもしろそう」に「魅せられる」かどうかは、作者のセンスアピール力(性格)によります。

人によっては、実際のクオリティー以上に作品を「おもしろそう」に魅せられる作者もいるのではないでしょうか。

優れた広告が人を集められるように「おもしろそうに魅せるスキル」は読者を呼べます

逆にこのスキルが無いと、実際はとてつもなく「おもしろい」小説だったとしても、なかなか読者は集まりません

(作られた「おもしろそう」に引っかかるより、本当の「おもしろい」を見極められた方が、読者にとっては得なのですが…。そこまで深く考えて小説を選んでいる人って、なかなかいませんよね…。)

ただし、この「おもしろそう」、逆に評価を下げる要因となる「両刃の剣」でもあります。

なぜなら「おもしろそう」は期待値のハードルを上げるからです。

読む前の「期待」が高ければ高いほど、それを「超える」のは困難になります

皆さん、前評判の高い小説を読んで「期待してたのに、この程度か」とガッカリしたことはありませんか?

逆に、期待せずに読んだ作品が思いの外「おもしろい」と、何となく評価が上がったりしませんか?

人という生き物は常に「期待を超えるもの」を欲しています

読む前の期待(おもしろそう)を読後の感想(おもしろかった)が下回った場合には満足度は下がり

逆に、読む前の期待を読後の感想が上回れば満足感を味わうことができます。

つまり、読む前の期待値と読んだ後の感想の「」で「満足感(評価)」は変わってくるのです。

■「おもしろそう」は真似られるが「おもしろい」には技術が要る

「おもしろそう」に魅せるにはセンスが要ると書きましたが…

実はこれ、生まれ持ったセンスが無くてもある程度「真似る」ことが可能です。

たとえば「今の時代、どんな要素が人気なのか」嗅ぎつける嗅覚は無くても、「実際に人気の作品」から要素を「真似する」ことならできますよね?

「どんなタイトルが人を集めらるのか」分からなくても、ランキング上位作品と「似た雰囲気のタイトル」をつけることならできますよね?

今の小説投稿サイトで同じようなジャンルの、似たような投稿作品が多く目につくのは、皆が皆そうやって上位作品を「研究」している結果なのではないでしょうか?

…ただ、ここで真似できるのはあくまで「おもしろそう」の部分のみです。

実際に作品を「おもしろく」するためには、技術が要ります

人気の要素を取り入れられたとしても、それを上手く活かせるかどうかは作者次第です。

人気作と同じ設定・似た人物相関図を取り入れたとしても、それを魅力的に描けるかどうかは能力次第です。

たとえ「おもしろそう」で人を集められたとしても、最後まで読んでもらえるかどうかは作品のクオリティー(本当の「おもしろさ」)次第なのです。

「おもしろそう」な大風呂敷を散々広げた挙句に、それをたたみ切れずに終わるなど、創作あるあるですよね?

結局のところ、物語とはセンスやアイディアだけではどうにもならないのです。

そこには必ず、物語を編み上げる技術――そしてそれを完結まで導くマネジメント力(モチベーションを維持する力etc)が要るのです。

過去記事で、小説がヒットするまでには6つの壁があると書いたことがありますが…

「おもしろそう」で人を集められたに待ち受けているのが、「本編のクオリティー」に関する壁2つ(冒頭の壁と継続の壁)なのです。

■「おもしろい」を極められなければ意味が無い!

投稿小説の世界では残念ながら、「おもしろそう」で人を集められればそれだけで(実際には面白くなかったとしても)ポイントや順位が上がるという現実があります。

(最後まで読まれなくても人が多く集まればPVは伸びますし、読まずにブクマ(お気に入り)する人もたくさんいますので。)

ネット上に散らばる投稿戦略記事を見ると、いかに「人を集めるか」ばかり書かれていて、いかに「質の高い小説を書くか」に触れていないものも多くあります。

中身を一切変えずに「タイトルを変えただけ」でPVが伸びる件など、その極みですよね…。それも、そんな小手先の戦略に引っかかってしまう読者のレベルゆえのことなのでしょうが…😢)

しかし、結局のところ作品として大切なのは「おもしろそう」ではなく「おもしろい」なのです。

「おもしろそう」は一過性の幻。現実を知ればめてしまう酔いのようなものです。

本当に人を惹きつけて離さないのは「おもしろい」なのです。

「おもしろそうに魅せるスキル」ばかりをいくら高めたところで、真の意味での人気にはたどり着けません(数値や順位の上での「見せかけ」の人気はれるかも知れませんが…)。

上でも書いたように、「おもしろい」にはスキルが要ります。

起承転結のストーリーテリングや、伏線回収や「どんでん返し」の構成力、キャラクターの造形力etc…。

挙げていったらキリがないほど、極めるべきスキルが山積しています。

個人的には「『おもしろそう』なんて上辺うわべの幻にわずらわされているヒマは無い!『おもしろい』を極めさせろ!」という気持ちなのですが…

上でも書いたように、読者は「おもしろそう」に惑わされ「おもしろい」を見極められない生き物のため、「おもしろそう」を無視するわけにもいかないのが現実なのです…。

(自己アピール系の目立つことが得意じゃないので、そのあたり本っ当~に苦手意識がヒドいのですが…😅)

本当の意味での「おもしろい」を見極められる、読者力の高い読者が増えてくれると、作者・読者双方にとってありがたいんですけどね…。



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