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5 ティンタジェル 男たちの町③

「面影を追い続ける男」 5 ティンタジェル ー男たちの町③ー


 疲れと酔いでうまく歩けなくなった俺をそっと支えるようにして、青年は二階への階段を上って行った。
 今度は何段か数えられなかった。並ぶとやはり肩の高さが同じくらいだ。

 整然と片付けられた部屋に、広いベッドが一つと、書物机が一つ。
 他に家具はない閑散とした部屋。いつでも出て行けるかのように。

 黒い帽子がたくさんばら撒かれているのが唯一の特徴だ。
 壁にもたくさんの帽子が掛けられている。いくつあるか数えようとすると急に目が回った。

 ベッドに倒れこみ、青年が俺の髪を撫でるのをそのままにしていた。
 俺の手を大切そうに包み込んで、指を絡ませてくる。

 ついと立ち上がった青年が、階段を降りる音がする。
 ワンショットグラスに透明な気泡が浮かぶ液体を運んで来た。
「カヴァです。どうぞ」
 口をつけると、ほのかに果実の甘い味がした。
「スペイン産のシャンパーニュ製法で作られたスパークリングワインです」

 彼が顔を近付けてきたが、俺は目を閉じてされるままにしていた。
 懐かしい味がした。少年の日に草原でふと甘い草の匂いがして振り返った時のような。痺れるような感覚は悪くなかった。

 ふと、思うことがある。俺にもきっと素養はある。
 キスにある種の快感を覚えていることは確かなんだ。男女の境が曖昧になってきただけなのかもしれないが。
 でも、ここで勘違いさせたらだめなんだよ。最後の一線は超えないのに、相手に残酷になるから。

 唇が一度離れたときに、俺は力の入らない手で思い切り彼の身体を突き飛ばし、睨みつける大袈裟な演技をしてみせた。
 彼はわかったという顔をして両手を挙げ、隣のベッドに腰掛けた。話を聞きたい。

「君はいつからこの店にいるんだ」
「二十歳のとき旅して来てから、ここから離れたことはありません」
「それは君にとって、ここが特別な場所だから?」
 店の名前を思い出していた。そう、『マンズ・タウン』だ。

「知ってますか? この山の上の城は、昔アーサー王の宮廷のあった伝説の街キャメロットだと言われているんです」
 アーサー王伝説だな。知らない奴はいないだろう。

「本当はアーサーは六世紀頃に実在していたという話で、山の城はそれより六百年以上後に建てられたはずだから、そんな話はおかしいんだけれど、実際に城跡に立って周りを眺めていると、この町の人たちがそう信じている気持ちがよくわかるんです」
 それは風の噂で聞いたことがある。

「気付いたらここに住み着いていました。逃げて来て、他に行く宛てがないってこともありましたが」
 彼はベッドの上で長い足を腕の中に閉じ込めるように小さくなった。白いシャツがまぶしく見える。
「帰る場所はないのか?」
「ええ。わかるでしょう?」

 少し沈黙の後、彼が聞き返した。
「あなたはどうしてここへ?」
「人を捜しているんだ。偶然通りかかっただけだ」
「恋人ですか」
「いや、アーサー王だよ」
「すごい偶然ですね」
 青年はちょっと笑った後に、怒ったような目をして
「明日、城へ案内しますよ」と言い、灯りを消した。




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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。