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<茫漠たる手前勝手なCD名盤ご紹介>#14

エルトン・ジョン 1973年発表7thアルバム『Goodbye Yellow Brick Road』(黄昏のレンガ路)発売時はアナログ二枚組。

全英・全米ともに当時アルバムチャート1位となった大ヒット作で、掛け値無しの大名盤。このアルバムをエルトン・ジョンの最高傑作と挙げるファンも、最も多いだろう。

この作品は過去いろんなエディションで再発されているが、これは2014年米国でデジタルリマスターされた最新盤で、マーキュリー/ユニバーサルの輸入盤をamazonにて1300円程度で買えた。CDでは初購入。当時LP二枚組で3300円位だったから、半額以下、なんて良い時代だ。

届いてファクトリーシールを剥がし、16Pの歌詞カードを取り出す時、懐かしいインクの匂いがした。ああ、これぞ輸入盤だ。

CD一枚に収めてあるが、マスタリングによる解像度が素晴らしい。当時こんな音像では無かった気がするし、聴こえてなかった音があれこれ聴こえてくる。

★ ★ ★ ★ ★

 エルトン・ジョンをご存じない方はかなり少ないと思うが、一応ご紹介すると幼少から神童と呼ばれ、11才で英国王立音楽院に入りクラシックを学ぶ。

卒業後バンド活動を経て1969年にソロデビュー以降、音楽史上に残る名作”Your Song(僕の歌は君の歌)”(70年)を初めとする数々のヒット曲とヒットアルバムを発表し、全世界で3億枚以上の売り上げを誇るシンガーソングライターである。ほとんどの楽曲をデビュー当初から作詞家バーニー・トゥーピンとのコンビで作り上げている。

*”Your Song” 詩曲併せてその完成度は、あまりにも名曲・・。

イギリスの英雄で、当然爵位を授与されたミュージシャンの一人で、来日回数も多く、68才の今も現役のスーパースターである。

しかし70年代後期、日本では彼の服装や奇抜なメガネ、飛び跳ねてピアノを弾く映像などから、売れ線狙いのポップロックシンガ-的な見られ方で、僕の廻りではなかなか話題に出来ない系のミュージシャンの一人だったのだ。

「エルトン・ジョン?ああ、あのチビ?、ハゲだよね、変な顔だしホモなんでしょ?なんで売れてるのか判らない笑」ぐらいは平気で言われていた。悲しい。”Your Song”くらい聴いてから言えと。

しかしながら、エルトン・ジョンは紛う方なき生粋のロックンローラーであり、超一流のエンターテイナーであり、ミュージシャンシップに溢れた偉大なピアニストであり、コマーシャルなポップソングも珠玉のバラードも骨太なロックも書ける「天才的」なメロディメーカーである。

もちろん名曲の数々は様々なミュージシャンによってカヴァーされており、彼をリスペクトする著名なミュージシャン達は数え切れない。

彼に匹敵するソングライターは現代で言えば、ボブ・ディランやポール・マッカートニーやジョン・レノンやビリー・ジョエル級であり、古くはバッハやショパンに比べても遜色ないとは個人的に思うが、ちょっと言い過ぎか。

こういう人を「アーティスト」と呼ぶのは全くやぶさかではない。

ビートルズ解散後、喪失感が著しかったイギリスのポップシーン。幾つも出てきたポップロックバンドとは明らかに次元の違う「吟遊詩人感」をもつ”Your Song”などを初めとする名楽曲群は、じわじわとマーケットに浸透していった。

70年代初期~中期、20代半ばのエルトン・ジョンは音楽的な絶頂期を迎え、名盤を次々と発表した。

特に1973年は6thアルバム『Don't Shoot Me I'm Only the Piano Player』(ピアニストを撃つな!)を発表。

そこから先行シングルの”Crocodile Rock”(全米1位、全英4位)

*”Crocodile Rock” シンプルなロックンロールだが、斬新なメロ構成。


そして全米チャート2位、全英4位のヒット”Daniel”をシングルカット。

*”Daniel” こちらも哀愁漂う名曲。なぜこんなメロを思い付くのだろう?

などのヒットシングルを続出し、アルバムは全米全英で1位を獲得。

同年、本作の『Goodbye Yellow Brick Road』発表し、74年には『Greatest Hits』(ベスト盤で自身最大のセールス)、そして75年『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』(キャプテン・ファンタスティック)、全て1位を獲得する快進撃を続け、76年区切りとなる『Blue Moves 』(蒼い肖像)などの名作の数々をチャート上位に輩出した。

本作『Goodbye Yellow Brick Road』からは4枚のシングルをカットし、タイトル曲や”Saturday Night's Alright for Fighting”(土曜の夜は僕の生きがい)は日本でも大ヒットした。

*”Saturday Night's Alright for Fighting” こちらもロックンロールヒットの代表作で、コンサートではやらない訳には行かない超人気曲。

また二曲目に収録された”Candle in the Wind”は1997年、バーニー・トゥーピンによって歌詞を改作され、ダイアナ元英皇太子妃の葬儀でエルトン・ジョンが歌った後、CD発売され爆発的な売り上げとなり各国でチャート1位となったのはご存じの方も多いだろう。

*葬儀でのライブ。「Goodbye Englands Rose」と唄った。

幾らでも曲が書けたであろうエルトン・ジョンの才能が全盛のこの時期に、作りすぎて収まりきれず二枚組となった本作は、プログレ的なインスト曲”Funeral for a Friend”で幕を上げ、バラード、R&B調、ロックンロール、レゲエ、カントリーとあまりにも幅広い曲調の楽曲を見事に配置した、全17曲総力戦の作品である。

なんというか、とにかくあふれ出るアイデアをぶち込みまくって、シェイクした感が凄い。

特にタイトル曲”Goodbye Yellow Brick Road”は詩をもらって15分で書き上げたと言われる作品だが、これこそ「天才的」と言うしかないメロディラインを持つ傑作である。

*”Goodbye Yellow Brick Road” 形容しがたい名曲。だれかコード進行やメロディラインなど音楽的な解析して下さい笑。

やはりメロ先行では出てこないバーニーとジョン二人の感覚が作り上げた、コンビネーションの力なのだろうか。

同性愛者でもあり、ありがちとは言え後年過食症やアル中とも闘う事になる、普通ではない精神状態と同居する人物が持ち得る才能の所以か。

ともあれこの楽曲は詩を読み、浮かび上がったメロが結実する瞬間に魔法が掛かったとしか思えない超名曲であろう。

アルバム『Goodbye Yellow Brick Road』は、ほとんどジャマイカで曲を書き、RECもする予定だったそうだが、環境が劣悪でフランスに戻りレコーディングされた。

その当時のレコーディング参加ミュージシャンはエルトン・ジョンバンドと呼べるような固定されたメンバーであり、ほとんど数テイク以内で録音されたらしく、こちらもスタジオマジック掛かりまくりの強力な音源だ。

エルトンのピアノプレイは時には官能的に、時には凄まじく、縦横無尽にサウンドを彩っている。

中でも以前から、そしてその後も長らくツアーやRECに関わるDrナイジェル・オルソンのプレイはコーラスも含め、まことに素晴らしい。彼はソロでAOR的なアルバムも出しており「涙のダンシング・シューズ」のシングルヒットもある。

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 何はともかく、僕にとってエルトン・ジョンは文句のつけようが無い偉大なミュージシャンであり、かような音楽的才能を持つ人物が地球上に存在した事を祝福したいくらいである。

何枚か出ているベスト盤でヒット曲のみを聴いていては見えてこない普遍的な才能の数々が、オリジナルアルバムを聴くとふあっと浮かび上がってくる。

本作はそんなエルトン・ジョンに、少しでも興味を持った方に強くオススメする傑作アルバムである。ご存じない方はぜひご一聴頂きたい。

まあビートルズとは違い、日本人がカヴァーするのは困難がつきまとう曲もあると思うが、ミュージシャンの方はぜひ挑戦を。きっと勉強になりまっせ-。

この稿おわり。

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