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<茫漠たる手前勝手なCD名盤ご紹介>#6

マイケル・フランクスの実質2ndアルバム『Sleeping Gypsy(スリーピングジプシー)』1977年発売。

前置きがだいぶ長くなるので、ご容赦を。

1970年代後期、ロック・ウエストコースト・フュージョン・ジャズ・ソウル、そしてAOR等の名盤が続出した大きな理由のひとつに、米国のスタジオミュージシャンの存在がある。

(本当は付随してプロデューサー・アレンジャー・エンジニア等の功績も強大だが、そこまで言及すると大変な事になるので割愛します。)

当時アメリカのLA周辺とNYC近辺には多くのスタジオミュージシャンが居住して、いくつかのチームが存在していた。

なぜLAかというと、ハリウッド~映画音楽制作~最新のスタジオがあるということが大きく、NYCはまあ今も昔もエンタメ文化の中心なので。

(むろん他地域、シカゴやフィラデルフィアやマッスルショールズやマイアミなどにも著名なミュージシャンやサウンドやスタジオが存在し、それぞれ素晴らしい作品を残しているが、今回はウエストコースト・フュージョン・AOR中心という事で・・。また80年代以降は取り上げていません。)

もちろん地域を超えてスタジオミュージシャンの交流はあるのだが、当時はそれぞれがバンドを組んでアルバム作品を発表していたり、その後組む事になる経緯があるので、気心も知れていてエリアやスタイルや制作陣に合わせて、大体同じような顔ぶれが揃うチームになるわけだ。

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まず紹介すべきチームはウエストコーストサウンドの代表<ザ・セクション>系の方々。

ダニー・コーチマー(ダニー・クーチ)(G)、クレイグ・ダーギ(Key)、ラス・カンケル(Dr)、リー・スクラー(リーランド・スクラー)(B)らがバンドを組んでフュージョン的なアルバムを出しており、彼らはスタジオプレイヤーとしてジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウンなどのアルバムに参加し、深い信頼関係を築いていた。

*1972年発表『THE SECTION』名盤です。

その近くの仲間的にワディ・ワクテル(G)、ドン・グロルニック(Key)、リック・マロッタ(Dr)、ケニー・エドワーズ(B/P)などがリンダ・ロンシュタットやカーラ・ボノフなどの作品に参加。デヴィッド・リンドレー(G)も重要なミュージシャン。またソロとしてヒット作を出したJ.D. サウザーやらアンドリュー・ゴールドやらとも近い関係(二人ともリンダの元彼)で数々のレコーディングに参加していた。
テクニックとイナタさを併せ持つ、ミュージシャンシップに溢れた集団だった。

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そして言わずと知れたAORのメインキャラ<TOTO・AIRPLAY>系の面々。

70年代末期、LAの(割と)若手のスタジオミュージシャンとしてジェフ・ポーカロ(Dr)、デヴィッド・ハンゲイト(B)スティーヴ・ルカサー(G)スティーヴ・ポーカロ(Key)などは、デイヴィッド・フォスター(Key)やジェイ・グレイドン(G)らとチームを組み、数多くのAOR物その他のスタジオワークをこなしていた。

*1977年発表1stアルバム『TOTO』時代を変えた1枚。

プロデュースしたり、参加したアルバムはあまりの量でとても紹介しきれないが、80年前後は日本人アーティストもかなりお世話になっている。

彼らは卓越したアイデアのアレンジの凄さも含め、少しハードな都会派サウンドを定着させ、AORのみならず音楽的に大きな影響を全世界に与えた。

*写真は1980年、とあるLAのスタジオでのスナップ。あえて名前は書きません笑。撮影:筆者

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かたやNY勢としてJAZZ・フュージョン寄りの<Stuff>系の方々。

*1976年発表1st アルバム『Stuff』こちらもマストアイテム。

ゴードン・エドワーズ(B)、コーネル・デュプリー(G)、エリック・ゲイル(G)、リチャード・ティー(Key)、スティーヴ・ガッド(Dr)、クリストファー・パーカー(Dr)などなど、黒人・白人混成の強力なチームである。

ブルージーでありソウルフルでありグルーヴィーであり、ありとあらゆる奏法のお手本ともなっている。

この辺も、もうもう数多くのアルバムに参加しているが、個人的にはケニー・ロギンスのソロ1st、1977年「Celebrate Me Home」の演奏など、Stuffからは一部の参加だがプロデュースの良さもあいまって、それまでにない都会感があって本当に素晴らしい。

他にもLAやNYCにはスタジオミュージシャンとして特筆すべき方々は本当に数多くいるが、上述した以外にあえて挙げるならチャック・レイニー(B)、ウイル・リー(B)、レイ・パーカーJr(G)あたりか。

またブッカー・T&ザ・MG'sに在籍し、75年にLAに移住した名手スティーヴ・クロッパー(G)の功績も見逃せない。

さらに管楽器系、Per系なども挙げだしたらきりがないので・・。もはや亡くなった方も多くいます、ご冥福を・・。

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そしてようやく、LAのJAZZ・フュージョン物の代表スタジオマンとなる<ザ・クルセイダーズ>系である。

ウィルトン・フェルダー(T.Sax/B)、ジョー・サンプル(Key) ラリー・カールトン(G)、マックス・べネット(B)等が在籍し、バンドのみならずスタジオプレイヤーとして様々なジャンルの作品に参加。

*1972年発表『Crusaders 1』クロスオーバー発祥の一枚。

ザ・クルセイダーズは70年代、毎年アルバムをリリースし精力的であった。

その特筆すべきプレイでスタジオでは引っ張りだこで、さらにメンバーのジョー・サンプルやラリー・カールトンのソロ作品もヒットアルバムとして一世を風靡した。

特にランディ・クロフォードをフューチャーした1979年の名盤「Street Life」その表題作は日本でも多くの女性ヴォーカリストがライブカヴァーする定番曲となっている。

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さて、ようやく今回のご紹介アルバムの話である。笑

そんなクルセイダース中心のRECメンバーを名プロデューサー、トミー・リピューマがまとめ上げ制作したのが、マイケル・フランクスの1975年発表1stと認知される『Art of Tea』と続く本作『Sleeping Gypsy』だ。

*『Art of Tea』

この『Art of Tea』も名曲ぞろいの大傑作で、本当は二枚併せてご紹介するべきだが、個人的な思い入れで今回は『Sleeping Gypsy』を。

本作はマイケル・フランクスの最大のヒット作であり代表作で、僕はその後の作品も本作を超える事が出来なかったと思っている。

1stに引き続きマイケル・ブレッカー、デヴィット・サンボーンという当時の二大SAX勢をソリストに迎え、ラリー・カールトンの天国行きのギタープレイは必聴である。

いわゆるヘタウマ系Voの元祖ともいえるマイケル・フランクスの声質を見事にサウンドマッチさせた、トミー・リピューマのプロデューシングは完璧に近い。

そして、このアルバムを代表作とする理由に、収録された名曲中の名曲”Antonio's Song”の存在があまりにも大きい。

ジョー・サンプルのピアノはソロも含めて神懸っているし、もはや大抵の音楽好きが聴いた事のある、ボサノヴァのスタンダードと化してしまった。

*『Sleeping Gypsy』バックジャケット。

とにもかくにもJazz/フュージョン/ボサノヴァをクロスオーバーした作風を定着させた本作は、そのスタイル・楽曲・演奏ともに全AOR作品の中で十指に入る名盤であると勝手に評価している。

当時のスタジオミュージシャンが油に乗った時期の極上プレイを、余すことなく発揮した『Sleeping Gypsy』をぜひ堪能してほしい。

まさに「心地よい」音楽を聴きたい貴方、手に取るべきの一枚はこのアルバムなのです。お酒にも手が出ます・・笑。

この稿終わり

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