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「わかった」の落とし穴

今月、久しぶりに仕事を持ち込まない休暇を1週間取りました。
とはいえ、メッセンジャーなどでちょこちょこと連絡が来たりするのですが、スマホで容易に完結できることしかしないことにしていました。

そうすると時間がたっぷりあるんですよね。
つまり、何もすることがない時間が生まれるんです。


何もすることがないと何が起こるかと言いますと、これまであまり出番のなかった感情が顔を出し始めるんですね。
それは、なんとも言えないモヤモヤとした気持ち。
でも、出番がなかったとはいえ、控え室にはずっと居たのでしょう。
仕事、研究、将来……さまざまなことへの小さな不安が夜中にコンニチハとやってきて、すっかり目が冴えてしまうのです。
そして観光したりのんびりしたりしている昼間も、なんとなくそのことを考えていました。


何日目かの夜、またモヤモヤがやってきて、もう仕方がないから一緒に過ごそうと、腹をくくりました。
そんな折、ふと、1年前の出来事を思い出しました。


長期間のワークショップに参加したあとのフォローアップセッション。
そこで私はなんとなくモヤモヤしていて、同じワークショップを経験をした方々に話を聞いてもらうことが何度かありました。

私がモヤモヤを打ち明ける。
それに応じてくれた方が、質問や新しい視点を投げかけてくれる。

あるやりとりの中で、私は「わかった」と言いました。
もちろん、わかったつもりでした。
でもその方からは、「ううん、わかったつもりにならないで。わからないままでいてもいいんだから」と返ってきたのです。


ハッとしました。
もともと、正直でもありたいと願っているので、わからないことを「わかった」とは言わないようにしてきました。
わかったと思ったから「わかった」と言ったつもりでした。
それなのになぜ、その返答に、こんなにも心が揺れるのでしょう。


白黒ハッキリさせたい私の性分。
私はいつもどこかで「わかりたい」、
つまりは白黒ハッキリさせたいという気持ちがある。
だから少しでも「わかった」兆しを掴んだら、
もう「わかったこと」にしてしまいたい。

これまでの私の「わかった」の中には、
そんな類のものも多く含まれていたのかもしれない。

瞬間的に、そんなことが頭の中をよぎりました。


わかってしまうと、そのことについて思考や感情を巡らせる時間が終わってしまいます。
逡巡すれば、そのことに心を寄せる時間を長く取ることができます。
早々に結論づけることの落とし穴に、初めて気がついた瞬間でした。


しばしの動揺のあと、「じゃあ、モヤモヤのままで居てみます」と応え、そうしてみることにしました。
Zoomを切ったあと、どこか落ち着かない気持ちで見た家の中の景色を、強く覚えています。
わかったことにしていたら見えなかった景色でした。
私にとって、大きなブレイクパターンでした。


最近知ったのですが、モヤモヤとともに居続ける忍耐力を「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ぶそうです。
世の中には、そして私の中にも、すぐには解決しそうもない事案が山ほどあります。
それを逐一ハッキリさせようとするのではなく、モヤモヤをモヤモヤのまま持ち続ける能力。
そんなふうに理解しました。


旅の夜、私は1年前を思い出し、モヤモヤと一緒にいることを積極的に選択しました。
そうするとスーッと気持ちが楽になり、また眠れるようになりました。

そこにモヤモヤしているんだね、私。

モヤモヤと一緒にいることを赦すことは、モヤモヤしている自分を認めることのようにも思いました。


ワーケーションはなんだかんだで、働いたり遊んだり、忙しかったんだな。

たまには「何もしない」を満喫するのも悪くない。
そんなことを十分に味わう旅となりました。

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