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藤田を「悪魔化」しようとする陳腐な論理~戦争画よ!教室でよみがえれ㊳

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画で学ぶ「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治の〝戦争画〟を追って(「藤田嗣治とレオナール・フジタ」改題)

(7)藤田を「悪魔化」しようとする陳腐な論理ー藤田嗣治の〝戦争画〟を追って⑧

 針生一郎は、戦前の1925(大正14年)年に生まれた美術評論家・文芸評論家である。戦後は日本共産党へ入党するが60年安保闘争での党の基本方針に反対して除名されている。

 この人の戦争画への怨念は相当なものがある。

「天皇制は血ぬられたオノとして海中に投げすてられなければならない、と感じたものだ」(『戦後美術盛衰史』東京書籍 昭和54年p21)

 と述べて、先の戦争は天皇に戦争責任がある、という思想スタンスであることを明確にしている。

 以下、藤田嗣治をはじめとして鶴田吾郎、猪熊弦一郎らに対しては「戦争中ファシズムに便乗し、軍部の手先となって活躍した画家たち」とレッテルを貼り付ける。そして、藤田を名指ししてこう罵倒する。

「戦争画家としての責任を、「総ての国民」と「軍官の誤り」に転嫁し、戦争責任と敗戦責任をすりかえ、坊主丸懺悔を説くごまかしと自己合理化を責めてもはじまらない。魂をまるごと悪魔に売り渡してしまえば、どんな条件のもとでも、「表現の自由」をみいだすにこと欠かない」(同書 p22)
  

 そもそも「戦争責任」という概念は成立するのだろうか?もし成立するとしたら藤田ら戦争を主題とした絵を描いた人たちに「戦争責任」はあるのだろうか?針生はこうした重要で原理的な問いを立てようとしない。そして、戦争を悪魔化して「戦争責任」なるものを自明のものとして相手に押しつけようとする。

 こういうスタンスなので、戦争画そのものへの評価も「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言わんばかりの論評となる。

 向井順吉・小磯良平に対しては

「従軍の経験と観察にもとづく現実感をいちおうそなえている反面、軍部のお仕着せの教訓臭や美談調もつよくうかびあがっている」(同書 p26)

 2人の作品のどこに「教訓臭」や「美談調」があるのか?指摘してほしい。そもそも教訓や美談があるといけない理由は何だろう?

※上:向井潤吉『四月九日の記録・バタアン半島総攻撃』下:小磯良平『娘子関を征く』

向井潤吉『四月九日の記録(バタアン半島総攻撃)』1942

小磯良平『娘子関を征く』1941

 西洋で名画とされる宗教画はほとんど神や聖人の教訓だし、美談だらけである。ついでに言うならあのベラスケスの名作『ブレダの開城』は事実ではないのに負けたオランダ軍が勝ったスペイン軍にお城の鍵を渡すという感動的なシーンをフェリペ4世のために描いている。専制君主の王様のために描いたこの「美談調」の絵は許すのか?
 
 中村研一・宮本三郎については

「芝居がかった演出やわざとらしい誇張がめだち、暗い脂色の色調、ものものしい表情、力みかえった描線の底に、救いもなく貧しいかじかんだ感性を露出する明治の歴史画や寓意画を思わせる」(同書 p29)

 絵には演出や誇張があるのは当たり前ではないのか?

※上:中村研一『マレー沖海戦』下:宮本三郎『飢渇』

中村研一『マレー沖海戦』1942

宮本三郎「飢渇」

 明るい色調で描けば「戦争を明るく描くとは何事だ!戦争を肯定する気か」と言うに決まっている。そもそも戦場を描くなら「ものものしい」のも「力み」があるのも普通だろう。

 藤田の『アッツ島玉砕』については絵の論評を越えて、何の根拠もなく藤田の性格に土足で入り込んで酷い言葉を投げつける。

「藤田の頽廃の深さに戦慄を禁じえなかった」
「苛烈な殺し合いの光景をこれでもか、これでもかとばかり描きこみながら、作者の内部はまったくここに関与していない。彼は嗜虐的な興味に駆られてこのむごたらしい場面を描きながら、その効果をニヒルに、偏執狂的にたのしんでいるだけだ。まさに悪魔に魅いられた恍惚というべきだろう」(同書 p31)

 こんな酷い論評があるだろうか?「嗜虐的な興味」「偏執狂にたのしんでいる」とは・・・。これは画家への人格攻撃である。
 
 ところで、「まさに悪魔に魅いられた恍惚というべきだろう」という最後の一文で針生の論法が明白になっている。

 針生は、藤田嗣治を「悪魔化」したいのである。彼のロジックは戦争は悪魔→軍隊も悪魔→軍の依頼は悪魔からの依頼→戦争画は悪魔の絵→描いた画家も悪魔の心をもつ人・・・というなんとも陳腐なものである。 

 戦争画と藤田の作品を批判する論理というのは、この程度のものなのである。



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