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誰がなんと言おうとこれが私!っていうもの持ってますか?

タロットでお悩みに答える記事です
今回は20代女性の『両親の過干渉』についてのお悩み

自分は自由奔放でやりたいことがあればまずやってみたいタイプ。
家でじっとしているのは苦手。
しかし夜に出歩いているわけではないのにも関わらず、両親は私が遊んで家をあけることに対して干渉してくる。
彼らが経験してきたことや考え方を「こうあるべき」等、娘である私に対しても押し付け、私の気持ちや考えは尊重してくれない。
そんな過干渉が嫌で家を出たいが「あんたに一人暮らしは無理だ」とキッパリ跳ね除けられる。


私にとっても、とても身に覚えのあるこの悩み。

年齢関係なく心配でなかなか放っておけない親と、もういい加減放っておいてほしい子ども。子供から大人へ自立の過程で発生する親と子のこすれ合い。


この悩みに対して私はタロットカードを一枚出した。
そして出たカードはこれだった。


THE HIGH PRIESTESS


2.女司祭

生命の源からそのエネルギーが自分へ"直"へ流れる。その作用をあらわすこのカード。そのエネルギーを行動や創造へと作用させる1.魔術師とはちがい、

1.魔術師


女司祭はその叡智を内に秘めたまま。

内に秘めた叡智とは"無意識の理解"  "内なる判断"

要するに直感だ。
つまり「直感に従ってるか?」と問われているということになる。


直感ってなんだろう

直感って「なんか知らんけど」の世界。なんの前触れもなく急にふっと湧き上がってくるものだ。なんか知らんけどいきなり現れてくる理由も理屈もない"何か"。


今回お悩みのこの女性は冒頭に書いたように、やりたいことはまずやってみたいタイプ。人の中で何か「やりたいこと」がわきあがって出てくる時って、前もってしっかり計画を練ったからこそ出てくることももちろんあるけれど、でもそういうのとはだいたい真逆のなんかフッと思いつきみたいなのが多いのではないかと思う。

この女性の場合も

あ、遊びに行こう
あ、一人暮らししたい
あ、〜〜しよう

きっとこんなだ。けれどこの女性はご両親の過干渉が原因でその都度湧き上がる思いを叶えられずにいる。つまり自身の直感に従うことができていないということだっだ。両親の価値観を押し付けられ、跳ね除けられてしまう。ではこの女性が直感に従い自分がやりたいことをするにはどうすればいいのだろう。


自分の核を知る


直感に従い自分がやりたいことを選択するという行為。そこにたとえ家族であろうと、その家族や周囲の目や意見は関係ない。でもこの女性はやりたいことが湧いてくるものの、家族の反対意見によってその選択ができないでいる。

なんだかんだ言いながらも周囲の意見を採用している。それはなぜかというと
自分に自信がないからということになるのではないだろうか。


自分に自信がある人は自分の「軸」や「核」というものがはっきりしている。
自分の"核"とは自分らしさ、私らしさの部分だ。
これが好き、あれが好き、あれは嫌い、好きじゃない。
自分のアイデンティティを形成するもの。初期設定みたいな部分。

この核は自分が自分であるためにとても大切なものになってくる。
自分が何が好きで何が嫌いで、何に不快感を感じ何に感動するのか。自分にとっての快、不快がハッキリしていてそこに周囲の誰であろうと入りこませない線引きができているということは、他の誰でもない「自分」を生きることができる。

だからふと湧いてきた直感に、何も考えることなく素直にしたがうことができる。

対してこの核がないという状態とは自分にとっての快、不快がわからない状態。自分ではない誰かの快、不快を自分ゴトとして採用する。常に周囲に流されている状態。

それはもう「私」は「私」じゃなくなってしまう。

恥ずかしながら私も30代前半まではずっとこの状態であった。
自分がないから自分の意見を通すということができないし、そもそも自分の意見や考えというのは常に間違ってるものだと思っていた。

なのでたとえやりたいことがあったり出てきたりしたとしても周囲、特に親の反対にあうとそちらを受け入れ自分の思いは諦める。
自分に「核」や「軸」が無いと自分に自信が無いために周囲の意見を採用するのだ。あともう一つ自分に自信が無い人の特徴として、「他人に嫌われることを恐れる」というのもあるのではと思う。


自分が本音や意見を言うことで相手を怒らせてしまうのをとても恐れる。
ホントのこと言って怒らせてしまったらどうしよう…
嫌われてしまったらどうしよう…

自分が主体なのではなく相手が主体。常に他人軸。

だからいつもいつも自信がない自分の気持ちにはフタをして閉じ込めてしまうのだ。嫌われないように…。

けれどこの世というのはうまくできていて、自分が自分じゃない生き方をするようにはできていない。いつかどこかの段階でその生き方はうまくいかなくなり、強制停止、強制終了、崩壊という形で終わりの段階がやってくる。

いやでも自分の核を持って自分の人生を生きる方向にもっていかれるのだ。

今回のこの女性の場合はまだそこまでの段階ではないけれど、でも

私とは?

というものについて考える良い機会が訪れているのだと思う。
私は何が好きで何が嫌いで何に喜びを感じ、何を不快に思うか。
あなたにとっては私の快は不愉快かもしれないけど、でも誰になんと言われようとこれが私。私が私であるために絶対他人に譲れないものなのだと

「私」を改めて認識する良い機会。
20代という年齢から考えてもこれから自立していくための絶好のチャンスが訪れているのだと捉えるべきなのではと思う。

このチャンスを無駄にせず自分の軸を確立し、自信を取り戻し、そして内から湧き上がる自身の直感に従ってこれからの道を切り開いていっていただきたいなと思う。




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