無憂樹_が描画を共有しました_5

言葉って難しい

友達が「無憂樹の文章はよくわかる、言葉が上手」と言ってくれた。

また別の友達は「核心突くね」と言う。

それらは全部物事をシンプルに言い換えているだけで、私の言葉は上手でも核心を突いてもいない。

ただ自分や誰かを客観的に観てそれを自分がわかりやすい言葉で表しているだけ。
きっと世間の誰かからしたら私の言葉は稚拙で知的さなんか感じられないだろうと思う。
実際そうだから。

友達と話していた時改めて自分は「感覚で表現する人間」だと知った。
私はその「感覚」を言葉というツールに置き換える事を頑張っているだけで、特殊な思想や立派に掲げるものは何もない。

多分その「感覚」で得たものがたまたま事実と合致していて、それをシンプルに言葉にした時「上手、核心を突く」と言われるのかもしれない。

私は難しい言葉や言い回しが苦手だ。
読むのも聞くのも苦手だから、この間行った友人の展覧会の作品解説文がちんぷんかんぷんだった。友人は沢山の難しい言葉を理解してそれで作品のコンセプトをしっかりと語っているんだなと感じた。
そして、あぁ自分は足りないものがありすぎる、と実感じた。
同じアートの世界なのに大きな隔たりを感じてしまった。

それでも自分の言葉には責任を持っているつもりだ。
もちろん難解な言葉にも興味はある。
ただ自分が実感を持って発することのできる言葉しか使わないだけだ。
興味はあるがその「難解」さを「ミステリアス」という魅力に置き換えたくない。

浮遊するような言葉を使う時、私もまた地に足が着いていない。
私は自分の手の届くところにある言葉しか使わないし、できることなら絵本の中の言葉のように人と接したい。
物語を語りつつ想像の世界を広げるような言葉を持ちたいと思っている。

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