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漫画家の蛭子さんが認知症を公表したのは2020年、昨年のこと。
へ~~っとびっくりしたけど、それ以上深く調べもしませんでした。
『女性自身』の記事⇩が気になったのは「やっと夫婦になれた」という見出しから。

昨年認知症を公表する前の3年間、かなり症状が深刻になり、奥さんが苦労していたとは知りませんでした。
著名人ゆえに病状を伏せていて、そのために公的支援も受けにくく、奥さんの体と心が限界に達して昨年の公表となったそうです。

前妻のことが忘れられない蛭子さんとの間に溝ができ、離婚の話まで出ていたそうですが、認知症が発覚し、離婚どころではなくなったとか。

奥さんが嬉しかったのは、認知症になった蛭子さんが「ありがとう。」と
言うようになったこと。

根っからの九州男児で「ありがとう。」なんて言ったことがないのに。
「ありがとう。」って、たった5文字なのに、なかなか言えないですよね。
照れくささもあるし、言わなくても気持ちは伝わっているだろうと思いがちだし。

私も夫に「ありがとう。」と言われたことはありません。
でも、「ありがとう。」という意味なんだろうなと思われる言葉をかけられたことはあります。
夫の叔父が亡くなった時、生涯独身だった叔父の通夜や葬儀は甥にあたるうちの夫や義兄が取り仕切ることになりました。
通夜には15人ほどの親戚がやってきて、簡単な ”通夜振る舞い”(お通夜のあとの会食)をしたんです。

オードブルのような盛り合わせ、お寿司の折り詰め程度でしたが、すべてが終わって親戚が帰った後に残されたのは、折り詰めのカラや湯飲みやビール瓶、割りばし・・・。葬祭ホールの人は「明日の朝片づけますからそのままにしといてくださいね。」と言って帰っていきましたが、まさかそのままというわけにはいきません。

結局、湯飲みやお皿などを洗い、ゴミをまとめ、原状復帰。
義兄(長男)の嫁は、なかなか変わった人なので、通夜には現れず、私一人で片づけ、その間、夫は数人残っていた従弟たちと話をしていました。

夫は宇宙人だけど、人間の心も持っていたんですね。
家に帰ると「今日は大変だったな。」と言ってくれました。
労い(ねぎらい)の言葉というのかな。
私はそれだけで十分。半年はご機嫌でした。

さて、蛭子さんを見ていて、「楽に充実した人生を送る方法」を説くヨガの教えのキーワードを思い出しました。
*今の自分を受け入れる。
*執着しない。執着はすべての苦しみのはじまり。

蛭子さんは図らずも、これを実践することになったのではないかなあ。

認知症を初期の段階で認めるのはどのような気持ちなのか、当事者でないとわかりませんが、元気だったときのことを思い出して「あの頃に戻りたい。」と執着すれば、今の状況は苦しみ以外のなにものでもありません。

認知症の自分を受け入れようとしても、葛藤は尽きないと思います。
でも、蛭子さん夫婦に穏やかな日々が増えてきたのは、蛭子さんのもともとの気質も幸いして、上手に折り合いをつけ、今の暮らしを受け入れてるからなのかなと思いました。

私に認知症の夫の世話ができるか?
言葉と力で暴力的になるタイプの認知症にかかった夫を10年間自宅で面倒見たという夫婦の番組を観たことがありますが、あれは私には務まらない。
蛭子さんは幻視があるけど、穏やかなタイプのようです。

婦人公論の対談⇩によると蛭子さん、お金には執着してるそうです (^^; 
「金の切れ目が縁の切れ目」で奥さんに世話してもらえなくなったら困るから。これは執着というより、生きていく張り合いかも。

「ありがとう。」が自然に言える方法。
最初に「あ~、」を付けます。相手がしてくれたこと、言ったことに
「あ~」で心を緩め、ちょっと笑顔で   「あ~、ありがとう。」
執着しないで今の自分を受け入れると素直に言えるようになるのか・・・?!
私も夫にもっと「ありがとう。」と言おう。



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