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ペーパードライバー歴20年の私が運転技術を取り戻した、とある「我慢」の話

去年まで、ペーパードライバー歴20年だった。
運転感覚を忘れて過ごした東京生活も同じく20年経った
そんな私が訳あってをもつこととなった。
仕方なくもまずは教習を受けることとした。

運転することをやめた理由は、20年前に交通事故を起こしたからだ。
20年前というとドライバー1年目だ。免許を取ってすぐの事故だった。
運転の才能がないと自覚した。
その交通事故は、無事、大きな怪我やトラウマも、賠償責任も前科がつくこともなく、ただ家庭裁判所で「無茶な運転は大事な人を殺める」なビデオを視て4点を引かれるだけで済んだ。だが、自粛を込めて運転をやめた。

やめてからの私は自転車電車でそこそこ不自由ない場所で暮らしていたので車は不要だったし、そもそも新車は無理でも中古車程度なら買える金はあったが買ったら日常のすべてをまいばすけっとで賄ってしまうような色気のない即極貧生活になるのは見えていたので、マイカーなど考えもしなかった。
ニコラス・ウィンディング・レフン監督作「ドライブ」を見てもエドガー・ライト監督作「ベイビー・ドライバー」を見ても、ダン・ギルロイ監督作「ナイトクローラー」ジョージ・ミラー監督作「マッド・マックス2怒りのデスロード」を見ても、に対して特別な感情が湧き上がったことはなかった。
運転感覚も忘れた世田谷区民は新宿シネマカリテくらいなら高田渡をゆらゆら歌いながら自転車漕いで行ける距離にあった。

昨年、妻の妊娠が発覚した。
人は知らないが私といういい加減な人間は思考があっという間に反転する。
を買うなら、運転し直すなら今しかない!」
そう思う日がやってきて、一週間後くらいには新車を一括で買っていた。

脱線します。一括払いにしたのはなにもお金が潤沢にあるからではなく、ローンというこの世のクソビジネスに1円も支払いたくない神経から生まれ得た判断であり、つまり金がないから一括で支払ったに過ぎない。

話を戻します。
妊娠が発覚した時、色々(運転もできない俺は役立たずなんじゃないか?ヒトの親子は知らないが我が子の前で「ゴールド免許?いやー、ただのペーパードライバーでさぁ」などとしょうもないこと言いながら各種鉄道に並ぶ親子になんか外に出る資格ないんじゃないか?そこまでいわなくてもいい?いやいやダメだ。乳飲み子抱えてぎゅうぎゅうの満員電車に乗って揺られて、家に帰ったら疲れただの乗客がマスクしてなくてモラル疑うだのいうのダサくないか?そんな奴は「車なんか維持費クソよね?将来は赤いポルシェに乗りたいわ。」などと根拠も脈絡もない「ほいで?その話おもろなるの?」と言われたら石になるクソ会話でもしてろ。世の中にこんなに浸透している乗り物ということは便利であるに違いないだろ?自転車3人乗りで生活するか車買うか決めろや)と思ったことを憶えている。

余談だが、若者がマイカーを持ちたいと思わない理由みたいなクソメディアがこたつ記事なランキングを定期的に出すのあれ何なんだろう。
しょせん第一位は「お金がないから」とか、お前らが車嫌いか何か知らないが不毛なメッセージ。「世の中は車いらないって言ってるんだぜ?目から鱗だろ?」といいたいのか?アホか?この手のクソランキングが目に入ったとき、ビール片手に笑顔の己自撮り画像とともに「おつかれさま〜」とかなんとかいうしょうもないツイート(Xとは呼びません)をみたときと同じくらい胸糞が悪くなる。何がいいたいかというと、誰か車を購入したきっかけランキングくらい作ればいいのに。

話を戻します。
そしてペーパードライバー教習を受けることになった。
これはビビりながら一般道を走っていた時の話である。
やっと本題である。

私が通っていたペーパードライバー教習はマンツーマンレッスンで、全5回だった。

第3回のその日はバックとパーキングを習う回だった。
20年の記憶から完全に消されたスキル。緊張をしていた。

前回、前々回とは違う教官(30代男)が助手席に座る。
爽やかでやさしいお兄ちゃんという感じ。白いシャツがお似合いだった。
人通りのさほど多くない、運転のしやすさから選んでいただいたであろう国道(であっても緊張でガチガチで肩は氷のように固くなっていた)を15分ほど走行していると突然

「あれ?」

「あれあれ?」

「んー。」

「うんうんうん。」

「ふー。ふー。ふー。(息)」

と見るからに調子が悪そうな顔と声が漏れていた。
私の運転技術が悪くて怒っているのかな?と思ったが、違った。お腹だ。

教官が便意をもよおした。
ここから、汚い話です。
お食事中の方がいたらすみません。ウンコの話です。

声色がか細かった。
彼の胃腸が騒ぎ出していたに違いない。
「それから彼の胃腸はどんどん活発になり、私たちのドライブは彼の急降下と共に進行しました」みたいなウンコだけにクソ文章を書くようになったらライターおしまいだ。時を戻そう。

今朝の牛乳が悪かったのかな……
もうウンコ我慢選手権であることが先方(私)にバレていると察したのだろう。
ていの良い腹痛理由をギリギリの精神状態で生み出したと思われる。
なかなかいい表現なので、いつか私がウンコ我慢選手権を突如始める時が来てしまったら「今朝の牛乳が悪かったのかな〜」を使わせていただこうと思っているが、未だ出番はない。時を戻そう。

ウンコ我慢選手権が開始してから10分は過ぎていただろうか。
見覚えのない街の幹線道路を走っていた。教官は声を発すことをやめていた。
いつもなら「はい、ここ右に曲がってみましょうか。そう、そうです。ゆーっくりハンドルを切ってぇ、アクセルは緩めずにぃ、そう。そうです。」などのアドバイスをしてくれていたが、「はい、ここ右に曲が」くらいでウンコが出るかも知れないと察したのだろう。私も絞り出す声で指導されてもつらいので、ただただ道を真っすぐ走っていた。ここはどこだ?

久々に、男の声が聞こえた。
「……あの………、すみません。次、なにか、施設が見えたら、、入って、もらえま、すか…………?」
エンジン音より小さな、囁く声とはこのことぞ。
見えたらいいよ、行ってあげるよ。でも、ここどこ?あと私の運転技術で車庫入れできないよ?やったことないし。あと、あなた誰ですっけ?はじめましてですよね?そしてこの車、教官のマイカーで教習するサービスということはあなたの車ですよね?ここでウンコを漏らしても一時的な悪臭を除いて私に被害はないし教習所にも迷惑はかからないですよね?なんならウンコが爆発したら「今日の教習は予定を変更して終了します」となって、やりたくないバックとパーキングの授業がリスケされるじゃん。おもろい体験かもしれんじゃん。ウーンーコ。ウーンーコ。
と悪魔の囁きが脳を占拠していたが、そんなアホなことを考えているうちに大型スーパーマーケットを見つけ屋外駐車場でドリフトみたいな車庫入れを完了している自分がいた。教官はドアを開けるやいなや走る、ことはできないようだが早歩きでトイレへ直行。難を逃れたのだった。

1年後。
なぜ、20年ものペーパードライバーだった私が、頻繁に運転する生活が1年以上経過しいまだ無事故でいられるのか。後部座席の妻と息子がグーグー寝てくれている運転スキルを身につけられたのか。
それは教官が便意をもよおしたからだ。
人は火事場に立たされるとかつてない力が出るという。本当かも知れない。

20年前。
ハードコアを爆音で流していた。姉ちゃんの日産マーチで。
火を吹くホットロッドの如くスピードを上げた日産マーチがトップギアで右にカーブする。
反対車線のガードレールの手前に草木が、対向車を覆い隠すようにボーボーに生えていた。いわゆる「見通しの悪い」道だ。
その草木からなかなかの速度でやってきたのは葬儀屋のハイエース
衝突。
警察官がすぐに駆けつけた。なぜなら警察署が事故現場の目の前だったからだ。
大破した日産マーチのフロントから黙々と狼煙が上がる。
ドリフやルパン三世みたいなベタな炎上やなと思ったけど口にするのは憚られた。
すぐにインプロで始まった実況見分。
煙草だけ持ち帰って(当時18歳)車を後にしたら警官が「兄ちゃん、まあ気にするな。この辺りよう事故起きとる場所やから」と言う。
ほな草木切れやと思ったけど口にするのは憚られた。すると姉登場。
普段温和な姉がキレてる。怖い。ポリよりハゲの葬儀屋より姉が怖かった。

さいごに。
運転するとき、事故を起こした20年前のハードコアが爆音で流れる日産マーチの運転席からの景色を思い出し、まだ激しい音楽全般は再生しないようにしている。
レスリングクライムマスターマイナー・スレットHi-STANDARDを聴きたいときもあるけれど。

運転するとき、事故を起こして20年経ったあの日、ウンコ我慢選手権に見事勝利した教官と私のコンビのことを、たまに思い出すことがある。
そして運転前には必ずトイレへ行くようにしている。

そして今日。
運転開始から1年と数ヶ月が経過。
ボンネットとバックドアに貼り付けていた若葉マークを外した。
若葉マークを付けていると「ナメられて車線変更時に入れてくれない」「法定速度を守っていると後ろから煽られる」等と各所から指摘を受けてきたがそのようなことは一度もなかった。
そんなことをわざわざ言ってくれる人の顔を思い出すと、私はそれらより人相は悪いし髭も濃い。サングラスもごつい

ペーパードライバーを卒業し、若葉ドライバーも卒業した記念に。


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