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意味のない時間を意味づけること

意味にとらわれている

「特に意味ないけど、なんか話したくて声かけてみたー。
あ、でも気を遣わないでね。意味のない時間を過ごしたいなと思って、声かけているから、この時間に対して責任を感じる必要はないよ。」

「いや、さっきまでの15分間はずっとぼーっとしていたよ。
ぼーっとする時間も時には大切だね。
今日は〇〇して、△△のことを考えて、ずーっと活動していたから、
この15分間で、こういう時間をこういった段階を追って過ごすことができたから、◆◆の価値がある時間だったと思う。」

結局私たちは意味にとらわれていて、そこから抜け出すことはできないんだなと感じさせられる。
意味がない、なんでもない、ただいるだけ、一切無心の世界に行かせてくれないかなと思うこともある。


意味があるから救われる

一方で、意味があると思うから救われることもある。

「あー、今日なにもできなかったな」
「このままずっとベッドの上に居続けるのかな」
そんな時に、すべてに意味があるから大丈夫だよ、と言われると救われる。
救われて心が軽くなって前を向くことができる。

心が軽くなって、再びより意味があることをなすために、
今の現状を引き受けて、これからに覚悟を持つために、
その時点では意味がないことも、意味があることにひとまずして、
これからを生きてみて、
具体的に意味あることをなして、
意味がないように思われた日々に何かをなすための準備期間であったという意味があったことにする、みたいなことな気もする。

私たちは時間、場所、歴史、関係性、生死、など様々に多次元な世界に生まれているからこそ、意味づけたくなるし、意味づけないと、簡単に大事なことを見失ってしまうんだろう。
意味の枠から出られない世界を生きているんだな。


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