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褒めることの暴力と立ち向かう

褒めることは暴力だと思う。 自分の中にある軸で相手をジャッジすること、それを勝手に押しつけること。 その軸は大抵”社会”の軸を勝手に自分が内面化していて、自分が有利な立場にあるときに、軸を相手に押しつけることで、自分が社会の中で相手よりも強い立場にあることを示しつつ、かつ、自分が正しいと考えている社会を広げたい、と行う行為が褒めることだと思っている。 だから、私は褒めることは基本的に何らかの役割を与えられているとき以外、「わたし」として人と関わっているときはしたくないと思

    • 『「言葉にできる」は武器になる』梅田悟司|読書記録 06

      読書記録6冊目はこちら。 ー「言葉にできる」は武器になる 私がnoteを書き始めたのは、内向きな言葉を外向きの言葉に変えたいと思ったことがきっかけだ。 そんな私にとってはまさにドンピシャな本だった。 ”内なる言葉”を知れコピーライターの著者は内なる言葉に目を向けて、思いを磨けと繰り返した。 世にはたくさんの言葉にする方法や伝え方のノウハウ本が溢れているが、そこで見落とされているのは、内なる言葉に目を向けることだという。 私たちは常に言葉に支配されている。言葉を使って、認

      • 『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』岡野八代|読書記録 05

        読書記録5冊目。 今回は『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』を取り上げます! 『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』とは「ケアの倫理」、みなさんご存じですか。 キャロル・ギリガンの『もうひとつの声でー心理学の理論とケアの倫理』にて提唱された道徳判断、思考様式のことです。 (私もケアの倫理に触れたのはこの本が初めてでした。) 日本では、『もうひとつの声でー心理学の理論とケアの倫理』の邦訳本が昨年度出版され、最近では『ケアリング・デモクラシー』(ケアの倫理の主要な論者である

        • 問いを持って生きる

          「問いを持って生きる」といいらしい。 最近もっと頭を使って生きなければ、PDCAを回して生きなければ、と強く思っていた。 そこで、聴いたのが「問いを持って生きる」というワードだ。 なるほど、、? プランを立ててしまうこと、仮説を持っておくこと、というよりは、 あえて問いでとどめておくということなのか?と思った。 このメリットはおそらく「そこにあるものをそのまま体験できること」ではないかと思う。 こういうことではないか?と思って生きた瞬間に、それ以外の可能性を見えなく

        褒めることの暴力と立ち向かう

        • 『「言葉にできる」は武器になる』梅田悟司|読書記録 06

        • 『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』岡野八代|読書記録 05

        • 問いを持って生きる

          ゴールデンウィークって何なん?

          今日でゴールデンウィークが終わった。 USJのCMはすでにゴールデンウィークが終わったことを嘆く人がモデルとして出ていた。 一昨日美容室に行って、「ゴールデンウィークどこか行きますか?」と聞かれて、「私は大学生なので、基本的に常に人生の夏休みをしているんで~。わざわざ人が動くときに出かけないですね~。」と言ったら、「そんなこと言ってみたいっすねええ」と言われた。 とはいえ、せっかくゴールデンウィークだし、と思い、なんだかんだ少し外に出て行きたかったカフェに行くなどした。

          ゴールデンウィークって何なん?

          藤井風「帰ろう」|この曲を語りたい 01

          趣味はなに?と聞かれたら、音楽を聴くことと答える私。 ただ、音楽の良さを語ることが毎度できない。 ということで、「この曲を語りたい」シリーズを始めてみることで、音楽の良さを語れる人を目指していきたいと思う。 第一弾は藤井風の「帰ろう」 好きな歌手と聞かれたら、私は藤井風と必ず答える。毎日聞くわけではないけど、この世界に藤井風の音楽があることを知っているから、安心して生きられている部分があったりする。 そんな私が最初にいいな!と思った藤井風の曲が「帰ろう」 「帰ろう」

          藤井風「帰ろう」|この曲を語りたい 01

          すべてを引き受けて、今を生きる

          「これくらいの絵画は有名じゃない?」 あー、この人はご両親が教養のある方々だから、自然とそういう会話が生まれて、そこに関心を持って、生きてきたんだ。 「何ができるかが大事でしょ。」 この人が存在承認の大切さを1ミリも理解してくれないのは、存在承認の感覚を失った経験がないからだ。 「自分の身の上を嘆いても仕方ないでしょ。」 嘆かなくてもやっていける程度だからじゃないか。 でも、こうやって、あなたの今までと私のこれまでを振り返って、今あることの原因を探して、比較して、「それ

          すべてを引き受けて、今を生きる

          道ばたで「今日帰る場所がわからない」と言われて、「警察に行きますか?」と言ってしまった

          私は自転車に乗っていた。 車椅子に乗っている方が車椅子の後ろにある荷物を取ろうと格闘されているようだった。 勢いで通り過ぎてしまったから、自転車を歩道の端に止めて戻ろうとした。 そのときに、ふと目があった人がいた。 「こんにちは」と言われた。 うん、絡まれそう、、?と一瞬思ったが、そうではなさそうだった。 「こんにちは」と返した。 自転車を止めるのは躊躇されて、自転車に乗ったままそこに留まった。 「こんにちは」とまた言われた。 「こんにちは」とまた返した。 その人はさ

          道ばたで「今日帰る場所がわからない」と言われて、「警察に行きますか?」と言ってしまった

          『夏物語』川上未映子|読書記録 04

          今回読んだのは、川上未映子による『夏物語』。 こちらも前々から読まねばならんと思いながら、読めていなかった本。 大好きな作家である川上未映子による『乳と卵』の登場人物たちが新たな物語を紡いでいる。 生命とは何かを問う著作だ。 『夏物語』のあらすじこの物語は大きく分けて2部作。 2008年、それから8年後の2016年の物語になっている。 主人公は夏子。30歳の女性だ。夏子の姉で大阪でホステスとして働く、巻子、そしてその娘、緑子が主な登場人物だ。 夏子と巻子は大阪でともに育った

          『夏物語』川上未映子|読書記録 04

          今日行ったカフェ、すてきだった理由を考察してみる

          すてきなカフェを見つけた今日はすてきなカフェを見つけた。 悶々として、あれこれ考えてしまった今日。 もう嫌な気持ちで一日を追えてしまうのではないかと思っていたが、 カフェを見つけたおかげでいい一日になってしまったぜ。 ということで、せっかくならなぜすてきなカフェに思われたのか、考えてみたいと思う。 何故すてきだったのか3点考えてみた。 1.カフェのコンセプトの押しつけがましくなさ 今日行ったカフェはビートルズの音楽がずっと流れていて、ビートルズの絵画やグッズが置かれ

          今日行ったカフェ、すてきだった理由を考察してみる

          ノートに書くべきだ。

          卒論を書くために、文献を自分なりに読んでみて、整理してみることをはじめた。 どうやって整理しようか、Notionにきれいにまとめられるかな、ひとまずGoogleドキュメントに殴り書くかな、、、うーん、、 いや、ノートに書いてみるか。 手を動かしてみよう。 そう思い立った22時。 どうしても無印のノートがいいと思って、わざわざローソンに行き、 (満足して一晩寝て、)ノートを開き、書き始めた。 みるみるうちに手が動き、頭が動き、インプットもアウトプットも進むではないか!!

          ノートに書くべきだ。

          幸せな一日

          今日は幸せな一日だった。 すてきな景色を見て、時間をともに過ごして、 きれいだね、しあわせだね、と言える時間は大変幸せだ。 人がいない場所で大事な人と時間を過ごせたこと、 自分では超えることができない、支配できない「自然」を目の前にして、 「生きたいように生きればいいんだね」という話ができたこと、 だからこの人とともに時間を過ごしているんだな、そんな生き方を私もしたいと思っているからな、と気づけたこと、よかったな。 私は人がいなくて、自然がある場所で、何も考えずに、その場

          幸せな一日

          意味のない時間を意味づけること

          意味にとらわれている 「特に意味ないけど、なんか話したくて声かけてみたー。 あ、でも気を遣わないでね。意味のない時間を過ごしたいなと思って、声かけているから、この時間に対して責任を感じる必要はないよ。」 「いや、さっきまでの15分間はずっとぼーっとしていたよ。 ぼーっとする時間も時には大切だね。 今日は〇〇して、△△のことを考えて、ずーっと活動していたから、 この15分間で、こういう時間をこういった段階を追って過ごすことができたから、◆◆の価値がある時間だったと思う。」

          意味のない時間を意味づけること

          言葉を得るために本を読まねば

          私には言葉が足りない、と感じる。 前にも書いたが、私は本を読みたいし、読まねばならないとなった。 そういったが、なかなか本を読み進められていない。 理由は3点だと思う。 1.活字になれていない。 2.「この言葉をいかに自分に落とし込むか」ではなくて、 「この言葉は自分の内にある言葉にどう結びつけられるか」で読んでしまい、自分の内にない新しいことへ抵抗感がある。 3.興味関心の幅が狭すぎる。 1点目は慣れ。読んで慣れていくのみ! 2点目は人と関わる際の課題でもある。 他

          言葉を得るために本を読まねば

          だれかの声を聴くために誰かを排除する

          場をつくること、改めて難しいなと思った。 以前から場をつくる人が、だれに声をかけるか、だれとその場をともにするか、それは選ばなければいけない、とおっしゃることにモヤモヤしていた。 「たとえだれかの声を聴くため、だとしても、それは排除ではないか。」 ただ、今日それはやはり排除ではなくて、相性である、と思った。 つくりたい場に対して、どの人とともにあるか、は、 むしろ場に来ることになった人にとっても、そうでなくなった人にとっても、よい時間を過ごすための積極的な選択である、と

          だれかの声を聴くために誰かを排除する

          わたしはいつも自分に甘すぎる

          いつも自分に甘すぎるな、と思った。 できること全部やりきったのか? そう問うている日々だ。何もできていない。 自分なんかがやっていいのかな、だれかの可能性を奪っていないかな、そんなことを考えいるふりをして、結局わたしはわたしを甘やかしているんだと思う。 考えよ、手を動かせ、そして常に向上せよ。 といつもいつも私は私に言うしかない。

          わたしはいつも自分に甘すぎる