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継母の美的センスの話。たぶん。

『白雪姫』の継母は、実母だったという説もあるらしい。(たしかグリム童話の初版)

世界で一番美しいのは誰?と事あるごとに鏡に聞いて、自分が一番だった時代にはとても満足していたのだろう...と、思うわけがなくて。

なぜなら、いつ、自分のではない名前が鏡から告げられるのかと、常に胸のうちにヒヤヒヤ不安を抱えていたんだろうと思うから。

「鏡」をのぞき込んだとき、映るのは自分だ。本来であれば。

鏡を自身の投影として見るとき、継母(実母)は衰えていく自身の容貌に向き合うことが出来ずにいたのだろうし、じゃあどうなりたいのかという理想として現れたのが、美しい娘「白雪」だったのだろう。

継母(実母)は白雪のことが大嫌いで大嫌いで、手間暇かけて仕込んだ毒りんごを森の奥の小人の家までわざわざ出向いて手渡すくらい彼女をこの世から消したがっていた、けれど。

誰よりも、白雪の「良さ」や「美しさ」や「可愛さ」や「健気さ」に気付いていた人物なのではないかと思う。

たとえ鏡が、“白雪さんが一番きれいよ”と言ったとしても、自分のなかに判断材料がない限り、なんとも思わないはずだ。嫉妬は、相手の良さが見えているからこそ生まれるものだ。そういう感度を、継母(実母)は持っていたのだろう。

とは言え、目の前の美しいものを消し去りたいくらい憎む気持ちを「行為」に変えてしまったことには賛同できないけどね。

白雪姫は、いつか王子様が...と夢見ながら、脳内お花畑のゆるふわガールのまま、いつのまにか小人たちに好かれ、いつのまにか動物の友達に囲まれ、いつのまにか王子様にキスされて、その後、結婚した。

もし白雪姫が、めっちゃネガティブで引っ込み思案だったら、継母(実母)はどうしただろう。

せっかく(自分から見て)良いところをたくさん持っているのに、それに気付かずにくよくよスネスネしている白雪を、きっと一所懸命なぐさめたり励ましたりしたんじゃなかろうか。

あなたはこんなに素敵なものを持っているのよ?あなたにはこんな素晴らしいところがあるのよ?もっと自信をお持ちなさい。

(だって私にはあなたの素敵なところがこんなにも眩しく見えるのだから)

実写映画化された白雪姫のストーリーでは、継母は、衰えていく自分を受け入れられずに、若く美しい白雪の血を欲しがる。

美しいものを身体にとりいれることで、美しさをとり戻そうとする。

現代の、サプリやエステや美容化粧品と同じ。美しさのエッセンスを手に入れることで美しく在ろうとする。アンチエイジング、現状維持のためのケアも含む。

ヴィランとして描かれる継母の悲哀を、映画は描写していたように感じた。美しいモノを美しいと思える美しい心を持っているのに、美しく在れないことへの苛立ち。

「あなたが何かを美しいと思えること自体があなたの良さなんだけどね」って言ってくれたら良かったんじゃないかな、鏡よ。

肉を食べればエネルギーとなって働くし、鉄分をとれば血液の巡りが良くなるし、カモミールにはリラックス作用があるし。

ここからは私自身の話を少し。

実は私は、誰かの良いところはわりとよく気がつくし、軽率に褒めるし、自分のアピールポイントがわからずに悩んでいるようなら力になろうとしがちだ。でも、でも、だ。

自分のこととなると、たちまちわからなくなる。好きなモノはたくさんある。表現したいことも尽きない。やりたいことだらけ。しかし、いざ実益に結び付けようとすると、なんにもPRポイントがないように感じてしまう。

自分ではめっちゃ好きなのが出来たけど、コレが誰の胸に刺さるの?果たして?

と考えてしまって、堂々と出来ないのだ。不思議なもんだ。いつも、表現欲に追い立てられて酸欠状態になってから何かを発表している。

自信なんてなくても、それをせずには息が出来ないから続いてる。それは詩を書き始めた13歳の頃から今まで、ずっと変わらない。

薔薇を食えば、その美しさや気高さを手に入れられるんじゃないかな、と思うことが、あるよ私も。白雪さんの継母(実母)さん。







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