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アイドルオタク経歴書

今回は、自己紹介の延長線上として、私の長年連れ添ってきたアイドルオタク人生の遷移について書いてみようと思います。

昔のブログでも同じような記事を更新したことがあったのですが、見返してみると今の自分が書きたい内容や分析した角度が違うので、修正を加えながら書いてみます。

アイドルオタク経歴書



オタク進度(深度?)の段階も付けながら、経歴書を書いてみました(笑)

ここでは一つ一つの時代に、私がどんな気持ちでどんな応援の仕方をしていたのか、最大限簡略的に書いています。(なかなかに重症患者なので、おそらく細かく書き始めたらまじで卒論並みに20000字以上は書けてしまう)

そのうち、それぞれの時代についても文章にしてひっそりと残しておきたいとは思っています。そのうち。



【第零段階】中学2年生~高校2年生:アイドル好きの自我の芽生え


まだまだ可愛いひよっこポタク(ぽやぽやオタク)期。「アイドル」ってすげー。私の人生を励ましてくれて、楽しくしてくれるもんなんだなって気づいた時期。このときから私は相当なコレクター気質だったので、CDやグッズなどは過去を遡り全て集めてた。




【第一段階】高校3年生:「コンサート(現場)」の沼へ


大学受験前にして静かに大きな挫折を味わって、誰にも言わず小学生の時から持っていた「道標」を失った時に、初めてコンサート(現場)に行く。現場の楽しさを知る。オタク友達が初めてできる。「推し」の夢を一緒に応援できるのって最高では。(現実逃避の始まり)




【第二段階】大学1~2年生:「コミュニティー(所属意識)」の沼へ

アイドルのファンダムが持つ「コミュニティー」の楽しさを知る。なんせ、まず最大の趣味が一緒の時点で話が合う。一生趣味の話をしていられる。気が合う人とだけ仲良くしておけばいい。オタク友達が友人関係の中心になる。ファンダムの名前が「私自身のアイデンティティー」となっていく。




【第三段階】大学3年生:「ファンサービス」の沼へ


特別仲の良かったオタク友達に連れられて新しい沼を見つける。「推し」を応援することよりも、オタク友達と一緒にいることが楽しかったから、その友達がハマっているものは何でも吸収してついていくタイプだった。

初めて「アイドル」から「ファンサ」をもらう衝撃的な体験をする。それまで、嵐や関ジャニ∞など結構大きな会場(ドーム規模)でコンサートをしていたグループしか応援していなかった私には、未知の領域すぎて本当にやばかった。思わず腰抜けたの、今でも忘れられない。

「アイドル」という自分にとっては雲の上のような存在だった人間が、コンサートで「自分」を見つけてくれることの嬉しさを知ってしまう。




【第四段階】大学4年生~社会人1年目:「いつも現場にいること」への執着
(関西ジャニーズJr. 平野紫耀くん)


いつも現場にいる人であることに謎の優越感を持つようになる。常に全ステに近い数の現場に行きたい。周りのオタクから「いつもいる」と一目置かれる謎のアレ。(あれ一体何なんだろう、何が偉いのか今となっては意味わからん)

わたしの知らない「推し」の姿があってほしくない。自分が見ることができる現場は全て逃したくないし、この目で確認して「推し」の全てを解釈していたい。今思えば、「承認欲求」や「支配欲求」に近い感情が芽生えてきた時期だったのかも。この時期から「音楽」や「アイドル」だけを純粋に楽しむことができなくなってきていたような感覚があったのもこの時期。

同担拒否も多いし、自分が一番でいたいみたいな感情がどこかに存在してる人間が多いから、同担への恨み妬み嫉みもすごい。最後は「推し」を見る楽しさより、現場に行くときのオタクからの目線や陰口に対する心労が強かった。




【第五段階】社会人1~2年目:「数少ない貴重なファン」でいることのへの執着
(関西ジャニーズJr. 高橋恭平くん)


ファンが圧倒的に少ない入所したばかりの子の「オタク」の美味しさを知る。未熟なところさえ、可愛い、私がこれから育てたい。(完全に危ない人の思考回路)

まるで保護者のような気持ちでその子を応援するようになる。その当時の私は、ファンレターに改善点も書いちゃうような「厄介オタク」だった。もうこのタイプのオタクになったら毒親に近い。自分が思う理想の「アイドル」でいてほしいという願望を、いつも手紙で「こうしたほうがいい、こうしてほしい」って勝手な理想を書いちゃうんだから。

それでもファンの数が少ない時は純粋だからか、いつもコンサートに行くと団扇を見つけてくれたり、何回もファンサをしてくれたり、厄介なファンレターもちゃんと読んでくれたり、それに対して返信をくれる。だから厄介と気付かず、悪化することもある。(当時の私だね)




【第六段階】社会人2~3年目:「コミュニケーション」の沼へ
(SUPER★DRAGON 松村和哉くん)


「アイドル」と至近距離で話せる新しい文化を知る。(それまでずっとジャニーズのオタクしか経験したことがなかったので)

一方的な手紙とかではなく「会話」によってコミュニケーションが取れる面白さを知る。そして、自分が応援している人にプレゼントを渡すことができる文化ナニソレ楽しいやばい。(その思考が一番ヤバイ)

「推し」から確信を持って覚えてもらえるようになる。現場に行けば名前を呼んでくれる、好きな曲やモノを覚えていてくれる。

この時期は、圧倒的に「支配欲求」<「承認欲求」。当時の「推し」は歴代の中で一番若かったけど、誰かの意見に流されるような弱さもなく、オタクに何言われようと良い意味で全く言うこと聞かない芯の強さがあった。私の中ですごく成熟した考えを持っている人として、「推し」への信頼と尊敬と一種の崇拝があったような。あとは純粋に楽曲やパフォーマンス、このグループに人生を捧げる「推し」の覚悟が美しくて好きだった。




【第七段階】社会人3~4年目:「認知・私信」の沼へ
(SUPER★DRAGON 松村和哉くん)


そんな一種の崇拝の感情さえ抱いている「推し」が、あげたプレゼントをよく身に着けてくれる。これは本当に沼。別に使ってくれなくてもあげてたけど、自分からのプレゼントって知ってる上で気に入って身に着けてくれているのは本当にヤバイ事象。

こんなの見たら、オタクの「承認欲求」は大暴走。いつでもどこでもどんな現場でも行きたい、いや行かなければ、というもはや謎の使命感により、ほとんどの現場にいるオタクに成長。

そして「推し」は尊いんだけど、現場や特典会の距離感はとにかく近いので、「推し」との距離感が完全にバグる。もはや「友達」と錯覚するレベル。こっちの距離感もおかしいけど、向こうも余裕でタメ口で話してくるようになってくる。ノリが地元の友達なんよ。

そして「推し」にとって、忘れられない大切にされる「オタク」でいたいという気持ちが生まれる。私の中では一番深い究極の段階。

自分で書きながら、いや、過去の私ヤバすぎるでしょ、、、って改めて思う究極の時代だったな。でも楽しかった。




【第八段階】社会人4~5年目:自分を振り返る期間に突入


ここまで来ると、もう完全に生活の中心は当たり前に「推し」だし、そうやってどんどんと深い沼に浸かりながら生きてきた期間が長すぎて「オタク」じゃない自分が想像つかなくなってくる。

現場行ってる時間は現実を忘れるほど楽しいし、頭が狂ったほどオタクやってる自分がなんだかんだ好きだった(盲信していた)から、辞められなかった。でも、ふと考えるとめっちゃ虚しいんだよね。これ私いつまで続けるつもりなんだろう?って。

自分の人生なのに、自分のために遣う時間もお金もない。もちろん、自分が楽しむために、その楽しい時間を得るために、一生懸命働いてお金を稼いで、現場に行くんだけど。自分自身に何か残るものが手に入るわけではないものに消費していく。そんな感覚?

例えば、仕事終わりに自由な時間とお金があって、ピアノを習う。そうすれば、ピアノを弾けるようになったそのスキルは自分自身のもの。それは、本人にとって「有益なもの」「財産となるもの」なんじゃないかなって。自分自身の価値になるもの。

それに対して、オタクで遣うお金が自分には還元されないものに位置づけられてしまっていて。もちろん一生忘れない感動や思い出は残るけど、それが綺麗な楽しい記憶だけではなく、いつの間にか、その中にいつも虚しさを感じるものになっていた。

あれ、私もしかして精神崩壊してるのでは?と気付いたのがこの時期。「推し」の夢を応援する、「ファンダム」というコミュニティーの一員として所属し続けることに固執して、自分が純粋に「アイドル」や「音楽」を楽しめなくなっていることに気付いてしまった。

この重大な感情の乖離に気付いて、私は一旦「クールダウン」の期間に入ることに。いきなり全部現場行くのは辞められなかったので、今までの「半分以下」を目標に現場を減らしつつ。

私は何のために「アイドル」を応援しているのか、私は「推し」に一体どんなことを求めているのか(いたのか)、私は「アイドル」や「音楽」を今後どうやって楽しみたいのか。自分自身の人生を豊かにするために触れるものに戻すために。

そして約1年半という時間をかけて、自分の応援スタイルや求めていたものを振り返りながら、どうして「アイドル」にこんなに依存してしまったのか、自分なりに納得して消化した。盲目にのめり込むことの怖さを自覚して、依存体質からの脱却を図る。




【第九段階】社会人4~6年目:距離を取って外野から「考察・解釈する」オタクへ
(防弾少年団(BTS)に出会う)


今まで応援していた「現場」に戻ると、「コミュニティー」と「承認欲求」がどうしても付き纏ってしまうことに気付いたので、手持ちのチケット限りで直接会いに行くのは最後と決めて、握手会・生のライブ会場に行くのを辞めた。いわゆるヘビースモーカーの禁煙みたいなもん(?)

そこから、私は常に「アイドル」との適切な距離感について考えるようになった。そんな矢先にコロナ禍に突入。努力しなくても、「推し」に直接会うのは難しい時代に。

そんな中で私がハマったのは、「考察・解釈する」という文化。私に考察・解釈する楽しさを教えたのは、「防弾少年団」というグループだと思う。彼らのストーリーは非常に秀逸でいつも「物語」としてそこに存在して、様々な要素が絡み合って非常に複雑で美しい。そして、それを彼らは「音楽」を通して伝えてくれる。

そして「ARMY」という彼ら持つ最強のファンダムは、考察好きの人間が非常に多い(気がする)。自分自身の脳味噌を一生懸命働かせて解釈しなくても、ガイドのようにたくさんのパターンの「考察・解釈」がTwitterで流れてきて享受できる。自分が見て感じた「考察・解釈」に近い呟きを見つけるたび、首が折れそうなくらい頷きながらイイネして楽しむようになった。

もともと「思考する」ことが好きだったので、「考察・解釈する」文化に触れてから、いろんな思考が広がるようになった。ただ「防弾少年団」という「物語」はあまりに長編作すぎて、私には扱いきれなかったので自分から発信することはなく「遠く推す存在」に留めておいた。




【第十段階】社会人6年目以降:音楽とアイドルの概念を追求する「考察・解釈する」オタクへ
(オーディション番組・INI・BE:FIRST)


夢を追いかける若者って美しい。その美しさに魅了されたら、私はあっという間に、新しい沼の中にいた。等身大の生身の人間が生み出す「物語」にドハマりしてしまったのだ。

最初に見たオーディション番組は「Nizi Project」だったかな?そこから「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」「Girls Planet 999」「THE FIRST」と気になるものをざっくばらんに。

誰かの夢が叶う瞬間と誰かの夢が散る瞬間が同時に混在するオーディション番組は、メンタルの死を覚悟しながらいつも見てる。それでも、その時間に全てを賭けて頑張る姿は、美しくて儚くて尊くてどうしても観てしまう。リアルタイム視聴は、日常生活に支障が出そうなレベルなので全部終わってデビューメンバーが決まってから履修が私のスタイル。

もしかすると、そこらへんの道ですれ違っていたかもしれない「一般人」が夢を追いかけて「アイドル」になる瞬間を見せてくれるオーディション番組は「考察・解釈する」対象として完璧だった。

今は、この中でも「PRODUCE 101 JAPAN SEASON2」からメンバーが選出された「INI」と、「THE FIRST」からメンバーが選出された「BE:FIRST」がアツい。ちなみにハマった時期は全然違う。いろいろあったんだ。

ここらへんは現在の私なので、そのうち他の記事で書いていこうかな。




というわけで、今回はSusanのアイドルオタク経歴書を作成してみました。
簡潔にと言いながら結局5000文字以上書いてました……。
今振り返ってみても本当によくこんなにずっとオタクしてるなぁ。
そろそろ人生の半分以上オタクしてる。

これからものんびり更新していきます。

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