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Youtubeを12時間見続けてわかったこと

世間には「何事もやりすぎると飽きる」と言葉がある。この言葉はよくダラけることに対して使われたりする。

Youtubeなんかはまさに典型例で、「どんなに楽しいYoutubeでも見すぎると飽きる」「他のことをしたくなる」ということがよく言われている。

しかし、僕がYoutubeを12時間見続けてわかったことはこれとは全く逆のことで、12時間程度なら全く飽きないし、Youtube以外の娯楽も含めるのなら、一生だらけ続けても飽きさせないくらい現在のエンターテインメントは発達しているということをすごく感じた。

考えてみれば、今のYoutubeには一人の一生をかけても見ることのできない量の動画があり、動画の本数は指数関数的に増えていっている。

それに加えて、Youtube以外のエンタメも毎日のように出て来ており、世の中のエンターテインメントを全て体験できる人などまずいないくらい多様なコンテンツがある。

そう考えるとエンターテインメントに飽きることなく、一生を過ごすことも今後現実味を持ってくるような気がしている。

ただ、今回の実験でもすごく感じたのだが、現在の社会でエンタメ漬けの日々を送ろうとしたら、様々な制約に阻止されてしまう。その制約は主に3つに分けることができる。

1.金銭的制約

ある一定程度の人はここの制約がないのかもしれないが、まだ多くの人間にとって、金銭的な制約はある。お金を稼がないと食べていけない人がほとんどだし、常にYoutubeを見ているだけでは生活できない人がまだほとんどである。

2.意識的制約

ずっとYoutubeを見て働いてないというと世間からは冷たい目で見られてしまうし、働いて社会的に大きな功績を残すことが良しとされている現代においては、多くの人がただエンタメ漬けになっている自分を許すことができないだろう。

3.没入感的制約

YoutubeもNetflixもまだスクリーン上でしか見ることができない。故に、まだまだ現実感が強くて、途中で萎えてしまうことがよくあった。エンタメ漬けになるためには、現実感をなくすくらい没頭することが必要であり、現実に戻ってくる感覚をいかに少なくするかが大切になるように感じた。

固定概念がガラリと変わる

以上の3つの制約から、まだまだ人々がエンタメ漬けになるのは先の話になりそうだが、今回Youtubeを見続けてみて、エンタメ漬けの世界は実際にくる可能性が十分あることをすごく感じた。

もしかしたら、人は働かないと幸せにならないというのは嘘で、エンターテインメントの中もしくはサイバー空間の中で自分の役割さえ担保されていれば、人は十分エンタメ漬けで満足できるような気がしている。

「お金を稼がないと生きていけない」「社会的に大きな功績を残そうとしないのは逃げだ」という現在の固定概念は、もしかしたら今後何十年したら普通に変わっているのかもしれない。

現に、多様性や人の目を気にしすぎないという風潮はその世界の方向に近づくベクトルである。

人によって差はあるのかもしれないが、一生かけてエンターテインメントを享受し続けて飽きない世界はどんどんと近づきつつあるし、僕みたいな人間なら制約さえなくなればエンタメ漬けになってしまうのだろうと思う。

人が働かなくてよくなった時に、これまでの固定概念がガラリと変わる。

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1997年の日本生まれ。