最近の記事

良いインプットをする為の3つの視点

結論:「①洗練された情報」を「②選択・集中」し、「③多様な角度で使う」 -------------- 3つの視点多くの人がどうやって日々のインプットをより良くするかを悩み、故に多くのインプット関連書籍が数多く並んでいる。そして、私もまたその多くの人の一人であり、数多い書籍を数多く購入してきた張本人でもある。そんな経緯で、様々な書籍を読み、自分なりに考えたことを共有していく。 まず、物事を考えるにはそれらを簡単にする必要がある。そして、その中で簡単な方法は「要素を分解する

    • アート的価値の付け方

      芸術作品は極めて不合理に価値が変動していく。100年前にはほとんどの人が見向きもしなかった鶏の絵が、100年後には日本にとどまらず、パリなどでも連日3時間待ちという人気を博すことがある。 同じものなのにも関わらず、その作品の外部が変動したためにそのものの価値が変わるという何とも不思議な世界、それがアートの世界である。 そうなると、「自分自身では世界という大きな環境を変えることができないので、結局アートというのは今までの実績と運だけに左右されてしまうのか」という疑問が生まれ

      • 「理由の後付け」は悪なのか

        何かを“直感的に”決断した際に、後からその理由となるものが出てくることがよくある。いわゆる、「理由の後付け」と呼ばれているもので、それをあたかも決断する前から把握していましたみたいなことを「せこい」だの「それは後付けに過ぎない」だの言われる。 しかし、本当に決断後に出てくる理由は後付けだけなのか?僕自身、「理由の後付け」を結構後からしてしまうタイプなので、この問題とは結構長い間付き合ってきたつもりである。 そんな僕が最近出した結論は、「理由の後付け」は決して一方的に悪いも

        • 要は、自分が決めたことができるか

          最近気がついたことがある。それは、「自信をなくす時は往往にして自分が決めたことを自分が守れなかった時である」ということだ。 そして、それと同時に気がついたことがある。「自分が決めたことがしっかりできていれば、どんなにすぐに結果が出ていなくても自分に対して納得感を持つことができる」ということだ。 やりきったか、やりきれていないか。 このラインこそがすごく重要である。このラインさえ守れていれば、毎日やりきれた日々を過ごせていければ、多分後悔などほとんど消え去ってしまう。

        良いインプットをする為の3つの視点

          次世代のライブに必要な2つの要素

          音楽業界がCDモデルからストリーミングモデルに移行して久しい昨今。CDなどの「情報」としての音楽では売り上げが上がらなくなってきている中、ライブなどの「体験」としての音楽は勢いを増していると言う。 数年前には、小橋賢児さんがULTRA JAPANを日本で初めて開催し、フジロックも毎年のように盛況を記録している。 そこで、ライブの何がそんなに人々を熱狂させるのかと言うことを探りに、先日きゃりーぱみゅぱみゅさんと中田ヤスタカさん(YSTK×KPP)、Perfumeさんのライブ

          次世代のライブに必要な2つの要素

          22歳の僕は一体何に苦しんでいるのか

          インターネットの良いところは、感情の保存が手軽にできたところにもあると思う。日記というツールは前々からあったが、あれは「保存」という一種の特殊スキルを必要とするため、多分多くの人にとっては有効な「感情の保存」のツールにはなり得なかった。 英数のキーボードを押すのが面倒くさいと思って、英語を調べるときはいつも最初にシフトを押して簡易的な英語入力をしてしまう自分ですら、“Note”は僕の「感情の保存」をおおらかに受け入れてくれるし、お手頃に見返すことができるよう待っていてくれる

          22歳の僕は一体何に苦しんでいるのか

          Youtubeを12時間見続けてわかったこと

          世間には「何事もやりすぎると飽きる」と言葉がある。この言葉はよくダラけることに対して使われたりする。 Youtubeなんかはまさに典型例で、「どんなに楽しいYoutubeでも見すぎると飽きる」「他のことをしたくなる」ということがよく言われている。 しかし、僕がYoutubeを12時間見続けてわかったことはこれとは全く逆のことで、12時間程度なら全く飽きないし、Youtube以外の娯楽も含めるのなら、一生だらけ続けても飽きさせないくらい現在のエンターテインメントは発達してい

          Youtubeを12時間見続けてわかったこと

          副産物を求める現代人

          「イノベーション」とか「創造性」とか「成功」とか、僕を含めて現代を生きている多くの人が欲しているもののほとんどは、大抵何かの産物でしかないのかもしれないなと最近思い始めてきた。 少し前から、こういった言葉に対してどこか違和感を感じていたが、それが最近それらの言葉の実態に起因するものなのかもしれないという問いに変わった。 というのも、よくよく考えてみたら「イノベーション」は手段でしかないし、「創造性」は後付けだし、「成功」なんか捉え方によっていくらでも変わる空虚な結果論でし

          副産物を求める現代人

          花火のような生き様

          多くの人は、人間特有の感情や欲望の波に負けて、恒常的な努力を怠ってしまう。故に、ずっと努力を続けられる非人間的な人は強い。 しかし、欲望に流されながらも自分の理想と現実に苦しんでいるような人の方が共感を得やすい。ほとんどの人は、自分とはかけ離れている人よりも自分に近い人を応援したくなる。 先天的な才能をそこには感じないのだが、紆余曲折しながら自分を少しずつよくするで大きな成果を手に入れるストーリーは多くの人を惹きつける。 先天的な才能を大いに感じさせる「天才」と呼ばれて

          花火のような生き様

          固有名詞の罠

          固有名詞は分かりやすさをもたらす。その反面、最終的に人を縛る足枷になってしまう。そして、これからは固有名詞自体の盛衰も激しくなるから、固有名詞に固執するのがより危険なことになってくる。 最近、こんなことを感じている。 チームラボの猪子さんの影響をもろに受けているからか、言葉に対する違和感が強くなり、固有名詞特有の束縛感に対して時代遅れ感を感じてやまない。 固有名詞とは、その場所にピンを刺すことであると個人的に思っている。その場所にピンを刺し、その場所に名前をつけてあげる

          固有名詞の罠

          行けるところまで一人で行け

          「早く行きたいなら、一人で行きなさい。遠くまで行きたいなら、みんなで行きなさい。」 これは、アル・ゴア前副大統領がノーベル平和賞授賞式典の演説でアフリカの諺として紹介したことでも有名になった言葉だが、確かに対比としてはすごくわかりやすい構造になっているので納得感は得やすいと思う。 特に、何か大きいことをしたいと思っている人にとっては、「じゃあ、チームを組んで遠くまで行こう」という帰結を導く大きなキッカケになるだろうと思う。 ただ、個人的にはその帰結は少し違うように感じて

          行けるところまで一人で行け

          弱いからこそ、一人になる

          一人っ子で両親・親戚にも溺愛されながら実家で過ごしていた自分にとって、地元を離れた一人暮らしはたくさんのことを分からせてくれるキッカケになった。 言われすぎて擦り切れている「親のありがたみ」も勿論感じたが、一人暮らしをして僕が一番に感じたのは違うことだった。 それは、「一人でいること」の重要性だった。 今までの自分は実家に暮らさせてもらっていたため、今考えてみればいつでも近くに味方がいて、逃げ場があって、心の拠り所と妥協の行き先が常に手の届く範囲にあった状態だった。

          弱いからこそ、一人になる

          結果が努力を「努力」にする

          結局、どんな崇高なプロセスを踏んでても、どんなにハードな努力してても、結果がでなければそれらの意味はなくなってしまう。そんな風に感じている。 努力と呼ばれる類のものは結果を出して初めて「努力」となるように、プロセスは結果が出て初めてプロセスになる。 結果が出なければそれは自己満足と言われても仕方がないし、どんなにすごいことをしていても、何もしていないのと変わらない気がしている。 もしかしたら、この結果絶対主義のような考え方は時代遅れなのかもしれないが、周りが納得するのも

          結果が努力を「努力」にする

          偏った情報が尖った発想をつくる

          人間に自由意志はあるのかという議論は飽きることなく、今もなお地球のどこかでは議論されていると思うが、僕は個人的に人間は意外と機械的な存在なのではないかと思っているタイプである。 0→1を生み出すオリジナリティなんてものはなく、それはどこかから持ってきた0.1をどのような組み合わせるのかという配分の問題だけだと思っているし、今の自分の選択も一見自分が選んだように見えるが、それは自分の育ちや今の環境などに依存している必然的なチョイスだと思っている。 だから、僕と同じDNAを持

          偏った情報が尖った発想をつくる

          エンタメの脆さ

          エンターテインメントは脆い。エンターテインメントは人を幸せにする力があるが、それを届けるためにはある程度の幸せな環境にいる人でないと届けることさえできないという性質を内包している。 事務所が少しゴタゴタしているだけで、そこに所属している芸人さんのパフォーマンスも簡単に笑えなくなってしまうし、第一にこんな状況なら終わりを見たいとも思わなくなってしまう。 ここに現在のエンターテインメントの脆さが垣間見える。 平和の産物本来であるならば、こう言う暗い雰囲気を少しでも明るくする

          エンタメの脆さ

          「正しさ」より「信念」が大事

          こんなにも嘘がつけない、嘘を突き通するのが難しい社会が今まであっただろうかとふと考えてしまう。昔はどうだったかは詳しく知らないが、現在は嘘を突き通せない、正直者がバカを見ない時代が来てること間違いないと思う。 SNSと地上波以外のメディアによって、TV出なくても生放送を届けることができるようになったし、それによってTVが反応せざるを得ないほどの大きな波を作ることができるようになった。 個人の時代と言われて久しいが、もう個人がマスに向けて発信することができるようになった世界

          「正しさ」より「信念」が大事