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母校は私のパワースポット

久しぶりに母校を訪ねた。
中高一貫校だったので、思春期、青春真っ只中の6年間を過ごした、思い出の詰まった母校である。

高校3年の時の担任の先生が、奇遇にも6年間所属した放送部の顧問だった。
その先生にアポを取り、いざ、3年ぶりの母校へ。
最後に訪ねたのは、大学1年の秋。文化祭に遊びに行った時である。

6年もいると、ましてや中高で放送部と生徒会長をやっていると、とてもたくさんの先生にお世話になった。
今でも職員室を訪ねれば、温かく迎えてくださる先生がたくさんいらっしゃることに、嬉しくなった。
先生方の転勤がないのは、やはり私立の魅力の一つである。

すっぴんで、制服で通っていた6年間。
あれから4年の時を経て、メイクをして、おしゃれをしている私。
それでも、中身は何も変わらない。
大学で学んだ、ほんのちょっとの知識が増えただけ。
思春期の瑞々しさが、ほんのちょっと減っただけ。

大した話はしていない。
でも、何でもない、普通の近況報告をするだけで、なんだかとても元気をもらった気がした。

「会いにきてくれてありがとう」
「益々綺麗な大人の女性になって!」
「時々、先生方の中でも翠雨さんの話になるのよ」
「悩み事でも、愚痴でも、何でも聴くからまた来てね」

そう仰ってくださる先生がいて、じんわり温かい気持ちになった。

そういえば、高校時代にお世話になった英語の先生は、ご結婚されて、お子様もできたらしい。
毎年年賀状を交換していたので、2年連続でご住所が変わっていたことから薄々勘づいてはいたが、やっぱりそうかと嬉しくなった。
卒業から4年も経てば、お世話になった3人もの先生がご結婚されて新しいご家庭ができて、そりゃあ私だって、間もなく社会人になるわけで、4年って短いようで長いなぁ、と、しみじみ感じた。

🏫🏫🏫

大学で、中学生・高校生向けのキャンパスツアーの案内をするアルバイトをやっていると、“校風”という言葉の本当の意味が見えてくる。
「明るい」「活発」「文武両道」などの似たような言葉が並びがちな校風でも、肌で感じるその言葉の意味は実に多種多様である。

「明るい」と一言で言っても、にぎやかなお祭りみたいな明るさもあれば、太陽みたいなまぶしい明るさ、ポカリスエットのCMみたいな爽やかな明るさ、ミラーボールみたいなギラギラした明るさだってある。
私の母校はというと、例えるなら、木漏れ日みたいな優しい明るさだと思った。

校内を歩けば、見知らぬ卒業生であるはずの私に対しても、ほとんどの生徒が笑顔で挨拶。
それが普通の学校なのだ。
思い返せば私もそうだったなぁ、と、懐かしくなる。
こちらも笑顔で、渾身の感謝を込めた「こんにちは」を返した。

在学中にお世話になった先生から「明るくおおらかな校風」という言葉を伺ったことがあるのだが、まさしくその通り。
在学中には、比較対象が無い故に感じられなかった“校風”の本当の意味に、卒業から4年経ってようやく気付いた。

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