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【おねロリキャバクラ】に出逢えたこと、生まれてきてくれたことに感謝を。俺たちの"幸せ"はここにしか存在しない

地球はおねロリの星。
世界は光に満ちている。そんな中で、私の最も愛する「おねロリ」の光とはなにか?

答えは決まっている。【おねロリキャバクラ】だ。
これほどに燦然と煌めき輝くおねロリ作品を私は知らない。

日常系の殿堂、まんがタイムきらら系列においてはおねロリというジャンルは中々どうして表舞台における光を浴びにくい、あまりメジャーではない性癖である。
故にそんな中で突如としてかの音に聞こえしきららブランドにて登場した【おねロリキャバクラ】は救世の光と呼ぶ他ない唯一無二であった。

小学生とくたびれたOLという組み合わせをメインに据えているのは実に熱い。しかも春日沙生先生の絵柄はそれはもうぷにっぷにのやわやわだ。
そのイラストの覇は見ているだけで涙が止まらないほどだ。先生の前作である【さかさまロリポップ】の頃からこの特徴的な柔らかさは特筆するほかない。

そして、先日【おねロリキャバクラ】の最終巻である2巻が発売となった。

この美しく光溢れた作品を公の世界でこれ以上見ることができないということは本当に悲しいし悔しくやりきれない。
それに対して悔い、怨嗟の念を垂れ流すことは容易い。だがしかしそんな戦いに熱は籠らない。なのでこの話はここでおしまいだ。
真に力を奮うべきはいつだって作品の素晴らしさと美しさだけだ。全2巻というコンパクトにまとまった中に、俺たちだけのダイヤモンドが宿っている。それを磨くことにこそ意味がある。

おねロリキャバクラ】ほど良質なおねロリ作品とは生まれてきたことそれそのものが既に慈しまれるべきことだ
その設定、世界観の力のほどは1巻発売の際に話をしたので同じ話は割愛する。もっと先へ、魅力の真髄へもっと深くへ切り込んでいく。

1巻と対比して2巻で特筆すべき点は2つある。「関係性の進展」と「別れ」である。両方が終盤の展開に詰め込まれている。

そう、最も大きな点としては「キャストと客」という関係性からの発展という点にある。それは「お店がなくなった時どうなってしまうのか」という別れの話に繋がる。
お店のキャストと外で会うのはご法度。だからこそ、踏み込む必要がある。"そこまでの関係"止まりなのかということに。
実際には「客とキャスト」のその先へと行く話には踏み込まなかった、しかしそれを匂わせる展開が終盤には存在した。

楓は頻繁におねロリキャバクラ「Amaryllis」に通っていた。凛ちゃんともたくさん話した。
だが何も知らなかった。連絡先も、居そうな場所も。どころか凛が本当の名前なのかどうかも。
キャストと客という関係性の間にどこまで真実が存在しているのか。客としての好きに境界性は引かれているのか。楓はその全てを知るよしがなかったし最後まで分からなかった。

最終回にて、実際にお店は(一時)閉店となり楓は凛ちゃんとのコンタクト手段を絶たれ、思い知る。お店がなければ凛ちゃんとは会うことはできないのだと。
そこで楓は凛ちゃんのお願いをもっと叶えていればあるいはと後悔する。ここにこそ【おねロリキャバクラ】という作品の儚さ脆さ危うさその全てが詰め込まれていると言っても過言ではない。

作中幾度となく凛ちゃんは「癒やしの偶像」ではなく等身大の自分を見てくれることに対しての喜びを感じ、それを与えてくれる楓に対して特別な感情を抱いていた。
あくまでも楓は客なのだが人間的に好きになれる部分があった。お話を聞いてくれるところだったり、自分のことでなく凛のことを考えてくれた言動に惹かれている。
だが楓が客である以上あくまでもお店で会う時はもてなす側でなければならない。素の自分、年相応の自分を出してはいけないと迷いを見せるそんな描かれ方をしている。

それに対して楓の思考の根本は前述のような「貢ぎ」にある。このすれ違いだ。あくまで楓視点ではお金を出すことでしか幸せにする方法を知らない。
しかしそれがまた楓の救済にもなっているのだ。後輩の向井が言っているようにキャバクラ通いを始めてからお金を稼ぐこと、仕事をすることに対してエネルギーが生まれ始めたりと前向きな方向に向いている部分もある。
そして楓自身も寂しかった昼食の時間に楽しみを持つことができ、同じ趣味を持つ上司の宮田との関係にも好転の兆しが見えた。会社の空気、宮田・楓・向井の縦列に関しては風通しが良くなり環境は良くなっている。

確実に人生は良い方向に向かっている。にも関わらず行く先、未来からは楓の破滅の匂いが漂ってくる。
これである。【おねロリキャバクラ】がただのおねロリ作品と一線を画しているところは。
あまりにも関係性が脆いのだ。成長した凛ちゃんに対して楓は何を思うのだろうか、お店はいくつまで続けられるのか、凛ちゃんはいつまでやるつもりなのか。行き先は爆弾まみれだ。

なによりも、お店以外で会いに行ける場所がない。という点にその真髄は宿る。あの最終回での絶望感、2人の関係性の脆さはこの一点に凝縮されている。
いつでも会いに行けるかのように錯覚していた。毎日のようにお昼に会っていたのだから。しかし別れは唐突に訪れる、そして思い知る。2人の関係は普通の友人や知人の関係でなかったということに。客とキャストという関係性は重い。
だからこそ、楓が出している結論はもっとお願いを叶えていれば、もっと凛ちゃんに会いに行っていればという「客」ベースの視点なのだ。本質的な部分でやはり彼女の中にはキャストと客という関係性は揺るがない。

しかし、夢の中では凛ちゃんとお店関係なくデートできる関係になっている。ここからは彼女の抑圧された想いを読み取ることができる。
おねロリという世界の真意はここに存在する。節度ある大人として、この世界で法に触れず楓が凛ちゃんと触れ合うためにはやはり客とキャストでなければならない。
だがそこで終われない、終わりたくない欲望を内に秘めていることも事実。その葛藤が美しく心に響く。
いつだって一線を越えたら一瞬で塀の内へ行くかもしれないという可能性、その最悪の未来は凛ちゃんが受け入れてくれている限り訪れることはない。
経済的にも自立した成人女性がランドセルを背負った、誰かの庇護下でしかまだ生きられない少女に依存する。本来ならば大人が守らなければならない存在に、人生を支えられている。

そんな関係性の中で楓はあまり自分のことを顧みていない雰囲気を出しているからどうしても破滅の空気がつきまとう。
凛ちゃんはあまりにも完璧キャバ嬢すぎて年相応の甘えを素で出すことをしない。彼女はプロだしプライドがあるしでおねロリキャバクラのキャストである限りはあくまでも楓との関係に客とキャスト以上の発展性を見せるような気配を見せない。
だから最終回においてもやはりキャストして生きている以上、楓にかける言葉は「一緒にいよう」ではなく「会いに来て」なのだ。
一緒に帰っている友達と別れ、楓と2人きりになったのもキャストではない世界との線引をしっかりしていることを現している。どこまでも凛ちゃんはプロであった。

なので凛ちゃんの作中で言った楓がお姉ちゃんだったら毎日甘えちゃうかもしれないという言葉からは様々なものが見える。
あるいは関係性が客とキャストでない、家族であったらなんの気兼ねもなく甘えられるのにと。そんな凛ちゃんの信頼と甘えともどかしさが見える。
そう、凛ちゃんはプロだからこそ先にも述べたような時折見える等身大の寂しさや喜びが映えるわけだ。そして楓が要所で出してくる凛ちゃんともっと仲良くなりたいという欲望も同じだ。
こういった布石、散りばめられた関係性爆弾の行く果てを見ることができなかったことに対する悔いと己の欲深さは感じる。
だがそれ以上に2巻まででここまでの関係性を築いていること、それを活かしたストーリーを生んでいることに対する感動と感謝が勝る。
おねロリキャバクラという語感と類を見ない設定だけの出落ちではない、あまりにもおねロリの舞台として完成されている。この迸る力に感服するばかりである。この力、志向の域まで練られている。

くたびれたOLがロリのいるキャバクラに行き、人生が変わる。一言で言ってしまえばこんなにもシンプルだ。だからこそこれほどまでに奥行きが生まれる。

そして何よりも作者の熱量がもろに伝わる。性癖にまっすぐでないと出力できないタイプの熱を読んでいて感じられる作品は大好きだ。
【おねロリキャバクラ】の良さは作品単体から出るだけのものではない。作品を通して滲み出る性癖にもまた魅力は宿る。
創造主、春日沙生先生の絶対に性癖に従いロリを描くというその姿勢からは絶対的な誉を感じられる。その癖に対してブレない誉に満ちた作風もまた大いなる魅力なのだ。
特に【ぼっちざろっく】のアンソロジーにおいて単身ふたりちゃんのロリロリ漫画を出しているのは絶対にロリを描くというブレない誉を見た。普段はお姉ちゃんな結束バンドのみんなをロリにすることで一見ロリロリに見えるが「ああいう形のおねロリ」として出すという信念の塊には涙を流した。

春日先生がTwitter(X)で上げられているマンガもイラストもほぼほぼがロリかおねロリかロリロリなのだ。この性癖に嘘偽りのないまっすぐさからしか誉を感じることはできない。

私の好きなシリーズはこのおねロリ誘拐。状況に対してお互いぽわぽわしすぎている優しい雰囲気とぶっちぎりくそかわ柔らか犯罪犯とかいう温度差がたまらない。
楓といいこの子といいよくよく考えたら深刻な事態なんだけどまあ本人が幸せそうならいいかみたいな火傷スレスレの設定は過激なんだけど優しい世界が好きな節は確実にある。

そんな作品を私の愛するきららブランドというバトルフィールドで追うことができたのは幸福と呼ぶ他ない。
ただ一つこの人生で悔いが残るとすればマンガ王国にて行われていたサイン本抽選は外したことである、本当の涙の味というものを私は初めて知った。

メガネ凛ちゃん、あまりにもかわいすぎる

最初にも話をしたが連載終了という事実に対しては本当に悲しい。もっと続きを見たかったという思いは止まない。
しかしそのマイナスを圧倒的かつ遥かに上回る魅力、プラスがこの作品には存在している。あり得たかもしれない未来ではなく、今手にしているこの美しき事実にこそ着目すべきなのだ。
読めば読むほど味が湧いてくる、幸せの形とはなんなのか。楓と凛ちゃんはこれからどんな関係になっていくのか。向井もこの先、先輩達と同じようにおねロリキャバクラにハマる時が来るのか。世界への思考は尽きない。

なればこそ、感じるものはひとえに感謝のみである。かように素晴らしい作品に出逢えたこと、気持ちの良い沼に浸かることができたこと。全てにあまねく感謝を。

これからも、この幸せに「会い」に行こう。

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