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アニメ完結したし【進撃の巨人】で一番好きな主題歌バトルしようぜ。これが""俺の戦争""

This is my last war

僕の戦争/神聖かまってちゃん

【進撃の巨人 The Final Season 完結編】を見たか? ついにアニメも完結するこの時を今か今かと待ちわびていた。それはなぜか。

進撃曲で【僕の戦争】が一番好きだと胸を張って言えるからだ。

そのために全ての進撃曲が出るアニメの完結を待つ必要があった。

進撃のアニメ曲は非常に色濃く本編を描写している。そのため、どの歌が好きかで進撃のどこが好きか丸々分かるというわけだ。

俺は進撃で好きなキャラを3人上げろと言われたら迷いなくグリシャジーククサヴァーさんだと答える。
各々が魂の救済、救いを求めて地獄で抗い続ける狂った男たちだ。親父と父さんと息子という関係性も素敵だ。
彼らが好きとなればもう私の一番好きな曲が【僕の戦争】であることは分かるな。

早速本題に入っていこう。ここからが【僕の戦争】だ。


全てが等しく”僕”の戦争

【僕の戦争】の歌詞において何よりも好きな点、特筆すべき点としては「戦争」のスケール感だ。

Look down from above
I feel awful
This time has come
Sinisuter faces growing curses
This is my last war

僕の戦争/神聖かまってちゃん

上から見下ろすのは最悪の気分
時がきた
家に帰ろう
悪意に満ちた顔 呪いが育つ
これが僕の最後の戦争

といった歌詞が1番の内容である。これは始祖の力を使い、地鳴らしで世界を平らにしている時の心境を謳っていることが歌詞から分かる。
事実、あれはエレンにとって「最後の戦争」だ。

friend's kind words
The evening train was shaking
I purified the imperfect flowers
The pain in my heart getting higher
My comedy show at its peak
The frogs were crying on our way home
This is my last war

僕の戦争/神聖かまってちゃん

空想の友人が優しい言葉を投げかけてくれる
夕暮れの電車は揺れていた
不完全な花々を僕は清めたんだ
胸の痛みが高まっていく
僕の喜劇は最高潮を迎えたんだ
帰り道でカエルたちが鳴いていた
これが僕の最期の戦争

帰り道を無くした風景
夕焼けこやけ逆さまに
下校時間 他人の影踏み 気づいたら夜明け1人きり
1人きりを終わらせないって
泣いていいよ今だけは
明日の準備がどうせまたあるし
宿題やって寝なくちゃね

僕の戦争/神聖かまってちゃん

それが2番とそれ以降の歌詞ではこのように電車がなんだのと進撃世界から遠い世界での出来事が綴られている。全く別の話ではある、関係もない。
エレンの戦いもこの学生の戦いもどちらも等しく"僕の"戦争なのだ。ここに前述した「戦争」のスケール感が存在する。

エレンの戦争も思春期の必死のあがき。自分なりに考え、抗い、戦うという点においてエレンもその学生も同じベクトルで戦っている。
そのベクトルを学校帰りに友人関係に悩み明日学校へ生きたくないけど行かないとなと抗う存在と同じに扱っているのだ。
エレンの戦争を神格化、大げさにしていないのが素晴らしい。エレンはずっと迷い悩み自分なりにみんなを思っていたし最良を願い戦っていた。
その迷いと悩みをあくまでも同じ思春期の苦悩と同列に扱っている。

故にどちらも等しく【僕の戦争】に過ぎない。

あえてエレンと全く関係のない世界での違う形の「戦争」を見せることでエレンの戦争のベクトル、輪郭をはっきりとさせている。この手法には本当に感服する。
そして、この【僕の戦争】というスケール感、ベクトルは更に解釈を広げることができる。そう、これは作中どのキャラにも当てはまることである。

エレンの戦争も学生も同じ。全てが自分だけの戦争。大義でも正義でもない、あくまでも世界は「僕」というスケール感での戦争だけで構成されている。
エレンだけでない。地鳴らしを止めようとする調査兵団、それを阻止しようとするフロック。全てが等しく自分本意の戦争に過ぎない。

だからこそ映像の演出が光る。【僕の戦争】のOP映像は最後のエレン以外ネームドキャラが一切登場しない。ただ「誰か」の戦争が繰り広げられ続けるだけだ。
どのキャラの正義も大義も一緒にされている。この戦争は「僕」の戦争の集合体に過ぎない。
この歌詞中における対比としてなんてことない普通の学生を出しているのがとても芸術点が高い。

【人がいなきゃ戦争は起きない】という完結編でのアルミンの言葉がその全てだ。世界の争いは等しく「僕」の戦争なのだから。
進撃らしくない雰囲気の曲でありながら進撃にこれほどまでにマッチした曲に仕立ててきているからこそ、その異質な空気に魅力される。

マーレ編での主題歌

ここからは若干脱線した話となる。それは【僕の戦争】の真髄はマーレ編で流れるところにあるという話だ。
マーレ編とは即ち俺が愛して止まないクサヴァーさんとジークの話がメインとなるところである。

マーレの戦士とエルディア復権派の2つの立場、2つの戦争に身を置くジークが自分の戦いがなにかを見出す話だ。
血の繋がりはないが求めていた父性を与えてくれたクサヴァーさん、血の繋がり以外求める父性を与えなかったグリシャ。
そして辿り着く「安楽死計画」という理想。
異なる理想と思想が交差する中でジークはクサヴァーしんの想いを継ぐことを決意する。クサヴァーさんという勝者とグリシャという敗者が生まれる戦争だ。

このクサヴァーさん編の鬱屈とした雰囲気、マーレ兵士たちの無情な世界。ここの話において【僕の戦争】以上に似合うOPは存在しない。
特別でない、名も無く顔も同じ兵士たちが移り消えていくだけの映像はマーレの戦争をとても端的に表現している。
クサヴァーさんはアニメ74話「唯一の救い」においてそんなマーレの戦いを「戦争ごっこ」と呼んでいる。この皮肉も【僕の戦争】があるから胸に響くわけだ。

そして、このマーレ編での歪な形での父と子の形の描写があるから最後の戦いにおけるグリシャとクサヴァーさんの共闘が熱いというわけだ。
別々の戦争を生きていた3人、親父と父さんとが息子のため手を取り同じ戦場で同じ目的のために戦う完結編のバトルは涙なしに見ることは出来なかった。
圧倒的フィジカルモンスターグリシャによる復権ヘッドクラッシュや戦闘スタイルに全く野球を反映させないクサヴァーさんの頭突きなどあまりにも最高と呼ぶ他なかった。

クサヴァーさんが戦いにおいて投擲など野球要素を使用しないのはあくまでもキャッチボールはコミュニケーションの手段だからだ。対してジークからしたら父さんに教えてもらった技術なので自慢げに使用していることなどはこの頭突き一発から読み取ることができた。
また面識などなかったどころか本来ならば敵対する立場のグリシャとクサヴァーさんが同じ息子のために願いを聞いて共闘しているのも果てしなく熱い。
ジークやクサヴァーさんとは関係ないがクルーガーがちゃんと進み続けるグリシャと共に進み続け復権バックブリーカーを披露しているのもグリシャのオタクとして強く胸に響いた。

俺の頭の中ではあの戦いの最中【僕の戦争】が聴こえていたことは言うまでもない。

「戦争」は消えない

エンディングにおけるパラディ島の戦争など巨人の力はなくとも人と人がいる限り戦争は起きるということを意味している。
戦争、争いが起こる本質に触れているのも大きい。
マーレ編に入るまでの理不尽に奪う巨人と奪われる人類、という立場と価値観を完全に粉砕されて「戦争」という言葉に変えているのも非常に理解度が高く唸らされる。
調査兵団だけが兵士ではない、ガビやファルコの登場に合わせて「駆逐」だとか「戦い」がメインに据えられがちだった主題歌を「戦争」にしたのも憎い演出だ。

総じて【僕の戦争】という概念があまりにもマーレ編、ひいては【進撃の巨人】という作品にマッチしていたのが私の評価点だ。
【紅蓮の弓矢】だとか【心臓を捧げよ】に比べると直接性も熱さもない曲だが、だからこそ出せる魅力に全振りしている感がたまらない。

それでいて「戦争」という言葉を出してくるタイミングとしても完璧だった。エレンがライナーの立場に立った上で、あの時のライナーたちと同じように戦争を起こそうと決意する場面やヴィリー・タイバーの「宣戦布告」という言葉。
それらに似合う言葉は「戦い」でも「進撃」でもない。「戦争」という言葉以外当てはまらない。そこにエレンの戦争のスケール感とそこらの子供の戦いも同じベクトルであると歌詞中で示唆してくるのも後々の展開を想うと胸に来る。

だが「戦争」が消えないということは人が存続し続けることを意味している。これこそが最も大きな点であると言える。
人類の8割は殺され、文明レベルは落ちたが戦争ができる程度には発展する。そしてまた破壊と再生を繰り返す。ある意味でそれで良いのかも知れないということなのかも知れない。
戦争を肯定するのではない、人が生きている証として戦争の有無を使用するという描写にこそ【進撃の巨人】らしさがあるのではないかと考えられる。
使用されたものが巨人か兵器かの違いなど些事に過ぎない。

なによりも見届けることができた。大好きなグリシャが進み続けた果てを。大好きな2人が成し遂げようとした「安楽死計画」の行く末を。
これを見届けずして【進撃の巨人】の完結を受け入れることは出来なかった。そして期待を裏切らない出来であり、作品全体としてもやはり本当に面白く感動した。

なのでここに記す必要があった。

それこそが"俺の"戦争だから。

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