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っっっっっっっっっぱ"コレ"よ。っぱコレなの。【やっぱコレ!るるるん♪】

[Wonderful Sweet!]この曲と出合い、幾度悔しくて泣いたか思い出せない。

それは私がパスパレのオタクであるからだ。私はこの曲についてSwitch版バンドリにまだ(2022年4月8日現在)実装されていない楽曲だということしか知らない。早くイベントを見たいと思う心から毎晩枕を濡らしている。
この曲に付随する背景やイベントのことは知らないが、この曲のことは知っている。本当にるんっ♪とくる曲だからだ。未読なのでイベントの内容だとかそういったものについて語る術はない。日菜ちゃんから溢れ出る無限の感受性とパスパレへの迸る大好きが溢れるこの曲はイベントを読む前の感情を書き認めるしかない。

氷川日菜を知る前と後とでまるで意味の変わる言葉

私はバンドリのことを知る前にサブスクでこの曲を聴いたことがあった。その時はまあなんと愉快な曲であろうかという程度の認識であった。だがSwitch版でパスパレを知り、氷川日菜という女を知ってから改めてこの曲を聴いたら開始数秒で脳が溶けた。この曲が誰のどんな感情を綴ったものなのか、ちゃんと本編を知っていれば冒頭の部分だけで分かる。ああ日菜ちゃんの曲なんだと即刻理解できるのがまず素晴らしい。

彼女を語る上で最も代表的なワードは言わずもがな【るんっ♪】である。一般的にはるんるんという単語が馴染みの深い言葉だ。が、このるんは彼女にとっての世界の面白さ、ひいては彼女の楽しさのすべてを現す言葉なのだ。
ここにある【るん】という言葉の意味する特別感、ひいては一般的な意味合いとの乖離は覚えておいてもらいたい。

開始早々からマシンガンのようにるんっ♪の嵐がくる。もうこの時点で愉快になれる。なぜ愉快になれるのか、それは日菜ちゃんがるんっ♪としているからだ。彼女がるんっ♪としているということは心から楽しいと思っているからだ。本当に楽しい状況でなければ彼女の口からこの言葉は出てこない。だからこそ開幕から彼女の楽しそうな心境が伺え、こちらも楽しくなれる。日菜ちゃんが楽しそうで良かった。

【やっぱコレっ!るるるんっ♪】そしてこれが全てなのだ。やっぱりこれが一番なのだ。るんっとくることが彼女の世界の全てといっても過言ではないことは知っているだろう。この再認識、やっぱコレという表現でるんっという言葉の重みを強調することが後の歌詞へ繋がる。

【ナゾがナゾを呼ぶとき〜笑顔が溢れ出す】
【きみの持つ世界にふれて】
【わからないとこもそれが魅力に変身】

上記の歌詞は確実に彼女の掘り下げイベントであった【What a Wonderful World!】にリンクした内容の歌詞になっている。こういった分かりやすい歌詞の繋がりがあるということは恐らく当該イベントにおける歌詞のリンクもあるのだろう。そこを理解できないのがあまりに悔しいが、故にこそ期待値の高まりが溢れるというわけだ。

圧倒的な表現力、迸るイマジネーション

この曲の真髄は2つのフレーズにあると私は考える。そのうちの一つがこれだ。もう一つは次の項で紹介する。

【朝昼晩問わずるんっ♪が咲いて よろこびの虹が今日も架かるんだ】

この圧倒的な感受性、付いてこれるか。朝昼晩問わずるんっが咲くのだ。それはつまりどんな時であっても楽しくなれる世界がある、ということだ。
それにはどんな条件がいるのかというと、それは前文にて示されている。

【きみが知る 色で描いた未来はLovely】

お分かりだろうか。これが何を意味しているのか。そう、その通りである。【パスパレボリューションず☆】だ。パスパレ一章にて生まれた曲、いわば始まりの曲だ。その曲における歌詞がこれだ。

【わたしときみの色あわせたら ナイス☆カラーができるかな】
【想いの色がパレットにダン!ダンシング】

これに対する日菜ちゃんのアンサーが上記に当たるのだ。先に説明した【What a Wonderful World!】のイベントにおける他の人の世界にふれてふれることがひいては自分のことを世界が楽しくなる。という価値観に基づいた答えが用意されている。
きみの色、でないことが最もポイントであると私は考える。あくまでもきみが知る、色。なのだ。
ここでいう【きみ】とは誰であろうかというとそれは間違いなくパスパレのメンバーであろう。日菜ちゃんはパスパレが大好きだから。
ではそんなパスパレのみんなから見えた、きみが知る色で描いた未来はなんなのかというとそれはLovelyなのだ。それだけではない、朝昼晩問わずるんっ♪が咲くのだ。
つまり何を意味しているのかというと、パスパレといるとそれだけ毎日楽しいよ、ということであると私は考える。
彼女がパスパレのことを大好きなのは知ってのとおりだが、それをこのような形で示している。あまりにも感受性豊かにして独特で賢い表現なのだろうか。こういったさりげないセンスの爆発から伺える彼女の天才さがすごい。
毎日が楽しいだとかそういったストレートな表現でなく、より具体的に抽象的な表現がなされているのが凄まじい。朝昼晩問わずるんっが咲く世界というものがなんなのか考えさせられる。それは日菜ちゃんにしか分からないことだが、だからこそ面白いのだ。分からないことって面白い。だから日菜ちゃんて素敵だと思わせてくれる。なんと素晴らしい世界、What a Wonderful World!

"""あの言葉”””

私がこの曲で最も好きな部分の歌詞がこれに当たる。

【たくさんの思い出にはいつも あの言葉が常に咲いていたんだ】

みなさんご存知あの言葉だ。例え日菜ちゃんのことをよく知らずともここまで読んだ方ならあの言葉が何を指すのか分かるだろう。
私はこういった曖昧な表現にしてその実、示しているものは一つのみという分からせる表現が非常に好きだ。それは即ちキャラ付の上手さ、そのキャラの深さに直結するからだ。ただの口癖に留まらない、彼女の世界を端的に現す一言。それがるんっ♪である。
この曲だけにしても多くの彼女に携わるストーリーにしても、たくさんの思い出に常に咲いている言葉がなにかなど考えるまでもない。
つまるところ、やっぱコレっ!なのだ。ここへ繋がるわけだ。やっぱコレに始まりやっぱコレに終わる、この歌詞間の繋がりもまた素晴らしいのだ。

結局何が言いたいのか

氷川日菜という女と切っては切れない言葉、るんっ♪。それをこういった形で歌詞に落とし込んでなお日菜ちゃんの個性を現し、そのセンスの凄まじさまで表現しているのだ。
なによりも彼女が楽しそうにしているのが本当に楽しい、嬉しい。日菜ちゃんが楽しそうでよかった。

とどのつまり、なにが言いたいのか分かるだろう。分かるだろうな。それはこの世の真理、世界の理というに他ならない。
結局の所、これなのだ。っっぱコレなのだ。やっぱコレっ!るるるんっ♪

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