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【からかい上手の高木さん】の全てを内包する最強のOP【言わないけどね】に宿る関係性の真意

勘違いされちゃったっていいよ
君とならなんて
思ってったって言わないけどね

言わないけどね。/大原ゆい子

【からかい上手の高木さん】は今や一つのジャンルとなって久しい「〇〇な〜〜さん」的両片思い系ラブコメ作品、その祖あるいは火付け役と言っても良い作品であろう。

なぜ今このアニメの話をするのかと言うと本作品の原作完結が決定したからだ。アニメ3期と映画の時点でもうだいぶ行くとこ一歩手前まで行っていたからその時が来たとしても不思議ではない。
寂しさよりもやはり楽しみである。私はアニメ勢であり原作を見ていない。このアニメは非常に出来が良い、特に音楽関係だ。1、2、3期と映画どれも主題歌の歌詞が圧倒的に秀逸である。
どれもただの本編リンクに留まらない、そのもどかしくもいじらしい距離感を美しく表現している。

そんな中でも、やはり全てにおいて特筆すべきは初代OPである【言わないけどね。】である。

この曲の歌詞は圧倒的にずば抜けて本編理解度と芸術点が高い。
そこに存在するのは【からかい上手の高木さん】という作品の真髄。即ち、関係性である。私はいつだって言っている、大切なのは関係性であると。

「からかい上手」という属性から生まれる関係性の真意にこそ、力は宿る。


「言わない」と「勘違い」

もう作品としての方向性、関係性の全てがこのワンフレーズに集約されている。
高木さんは「出逢った頃から」西片に好意を抱いている。そして西片は高木さんに対する好意、自分の抱いている想いがなんであるかを自覚していく。
ほとんどくっついているのだが一線、つまり正式に付き合うことなく付かず離れずの関係性に対してヒロインの「からかい上手」という属性がアクセントになっている。なんならもう実質的に「からかわれ上手」な西片にスポットがメインと言っても過言ではない。そういった作品である。

だがそれが全てではない。もちろん話数を重ねるほどに2人の関係性は徐々に変化、あるいは進展していく。それでも2人の間には「からかう側」と「からかわれる側」という関係性が根底に存在する。

だからこそ、だからこそだ。初代OPの開幕1秒から【勘違いされちゃってもいいよ】というフレーズが飛んでくるのは非常に作品そのものに対する解釈が極まっている。
「からかっちゃう」だとか「本当の気持ちは言えない」だとかそういう直線的でシンプルな言葉を使用していないのが圧倒的に芸術点が高い。
安易な言葉で全てを語らせるのは容易い。だがそういった「素直さ」はある意味でこの作品には似合わない。深い部分ではすごく素直なのだが恥じらいや照れ、負けたくないという感情から素直になれないところに魅力が宿るのがこの作品の力でもあるのだから。特に1期においてはその傾向が非常に顕著だ。

だからこそ「勘違い」という言葉を使用するところに趣を感じる。【勘違いされちゃってもいい】という言葉には多くの神威が宿る。
本人への直接的な好意を示しているのではない。第三者から見た2人の関係性が「"そういう"関係」であってもいいと肯定しているわけだ。それを伝えている、この回りくどさこそが高木さんという作品の何たるかである。
当然そのままの意味もある。だがそれ以上にこの言葉は願望でもある。周囲ではない、西片に対してだ。

傍から見たら圧倒的に近すぎる距離感、多感な時期故に周囲からの勘違いだって起こる。というより実際作中において西片は周囲から高木さんとは付き合っているようなものという関係と認知されている。

だから、自分はそれを受け入れてもいいと。別にそういう勘違いされてもいいよ。まあそんなことを思っているが言わないけどね、と。これである。この【言わないけどね】という点にこそ芸術点が宿っている。
言ってもいいが言わない。好きだけどそれだけではない。進んでもいいが今この関係性こそ美しい、光の現状維持がここにある。

からかい上手な高木さんにも弱点がある。それはからかい上手故の弱さ。そう、それは本気の言葉もからかいと取られてしまうこと。それから本音を話した後に照れ隠しでからかいを入れてしまうこと。
本音、西片への好意を隠していないのだがそれが本気だと西片へは伝わりにくい。言い換えよう、西片はそれが本気ではないかと勘違いはするがそうであるとは信じない。
1期以降徐々にその好意を言葉通り受けとるようになっていくという点も含めて、ここにこそ2人の関係性の真意は宿る。

だから【言わないけどね】という言葉は本気の本音に対しての言葉となる。それは”言いたいけど言えない”という意味合いの「言わない」も含んでいる。
本編を見れば分かるが高木さんはなんだかんだで結構本音を西片に言っている。西片が本気でそう捉えないだけだ。もしかして高木さんそういう意味で言っている? と勘違いしてそこに高木さんがからかいを付け足して茶化す流れは本編では黄金のやり取りだ。
でも本当に言いたいことは言わないし言えない。それに高木さんは西片に「言ってほしい」のだ。

だからこそ「言わないけど」という言葉選びは本当に素晴らしい。なぜならばこの言葉は「言ってもいい」という意味も内包しているからだ。そうなのだ、別に言っても良いことなのだ。でも敢えて言わない。
そこにはこのからかいを主軸とした2人の関係性が起因している。今の関係性に心地良さを感じていることもまた事実。まだこの関係でいて良い、そういった意味合いも含んでの「言わない」という意味でもある。

カバー曲にOPのフレーズを入れる剛の技

My love is forever 
あなたと出逢った頃のように

出逢った頃のように/Every Little Thing

【言わないけどね。】を語る上で絶対に外せないものがある。それは1期12話EDである【出逢った頃のように】の高木さんカバーについてだ。
何よりも特筆すべきは2点。カバー曲でありながらあまりにも歌詞の内容が本編にマッチしすぎていること、それから高木さんカバーには【言わないけどね。】のメロディーが挿入されていること。

歌詞についてだがもう言うまでもなく冒頭部分の歌詞があまりにも解釈100点満点すぎてもはや何も言えない。またこの曲が流れる12話の展開を踏まえるとカバー曲とは思えないほどの本編リンクを見せる。
西片と高木さんの出会い、そして初めての「からかい」はあのハンカチから始まった。西片は初日、まんまとハンカチでからかわれるきっかけを作り2人の関係性のルーツが構築された。
西片が拾ったハンカチが、学校を通じて高木さんへ渡る。そして夏休みに西片へ渡されたハンカチが西片により直接高木さんへと返却される。そしてこの展開だ。

高木さんにとってあのハンカチは非常に思い出深い大切なものだ。出会いの記憶であり、初めて抱いた西片への好意、そのきっかけとなるもの。
それが西片からの返却という形で今度は西片からの好意、感謝の気持ちを添えて返ってくる。高木さんが好意で貸したハンカチを西片もまた好意を持って返却する。好意のキャッチボールだ。
だからここで流れる【出逢った頃のように】という言葉そのものにこそ力は宿る。2人にとって始まりはハンカチだったから。それが即ち出逢いの記憶でもあるのだから。

そんな2人のルーツにスポットした12話にてEDが【出逢った頃のように】というのはあまりにも解釈レベルが高すぎる。絶対にこのタイミングでこのカバー曲を叩きつけるといった強火の意思を感じる。

手紙で素直な感謝を伝える西片。素直な気持ちを直接「言えない」西片は「言わない」という言葉で表現される高木さんとは対照的に映る。
これらの関係は話が進むにつれて高木さんも本当は「言えない」ことが分かったりもっと言うなら「言ってほしい」だったりということが分かるのだがこと1期に関してはこの関係性がゴールだ。

「勘違いされてもいいけどね」

そしてアニメの2期10話、これを語らずに【言わないけどね。】の真意に触れることは叶わない。本作のED曲は高木さんによる邦楽系ラブソングのカバーである。
こう話をして察しの良い人ならば何が待っているかすぐ理解できるであろう。
そう、その通りだ。2期10話のEDは【言わないけどね。】の高木さんカバーだ。これである。これが力というものだ。

特筆すべきはその展開である。1つのイヤホンを2人で分け合い音楽を聞く王道の展開において「こんなところを誰かに見られたら勘違いされてしまう」と心の中で心配する西片。
それに対して高木さんはそんな西片の心境を見透かして「私はいいけど」と呟く。そうしてED、即ち【言わないけどね。】の高木さんカバーが流れるのだ。

流石にこの展開には心が震えた。本当に音楽の使い方がうまい。「私はいいけど」と呟いてから【言わないけどね。】が流れる。

これが何を意味しているか分かるか。
その通り、関係性の変化だ。高木さんの西片への想いがからかいよりも恋愛感情の方が大きくなっていることをも意味する。

そんなこと言わないけどと言ってからかうだけではない、ちゃんと言葉にして伝える。ここからは勘違いしてほしいという願望が含まれていることも見て取ることができる。

そもそも本編見てなくても分かることだと思うのだが本当にこの作品は高木さんが西片のことを好きすぎるのだ。そんなんタイトルから分かるだろと思うかも知れないがその未視聴者の想像の50倍くらいは高木さんが西片のことを好きすぎるのだ。
だからこそ、高木さんの西片へのでかすぎる感情を知れば知るほど【言わないけどね。】の火力は増す。

【言わないけどね。】という言葉は1期の2人の距離感だからこそ出る言葉。2期や3期時点ではもうだいぶ高木さんがガチよりのガチになりこういった強気、余裕のあるからかいが出にくくなっている。
それはからもやはり高木さんと西片の関係性の変化を見て取れる。もうただのからかう側とからかわれるだけの関係性ではなくなりつつある。そこからも完結の波動を感じることができる。
だからだ。だからこそ【勘違いされちゃってもいい】という言葉に宿る精一杯の温度と湿度にこそ注目しなければならない。

【特別】

【言わないけどね。】は作品解釈として的確かつ端的に全てを現し過ぎている。だが当然言うまでもなく2期のOPも3期のOPも火力に満ちている。

すきは沢山あるから
時間をかけて気付いてくれたら良いな

ゼロセンチメートル/大原ゆい子

例えばこれは2期OPである【ゼロセンチメートル】である。この曲はサビで幾度となく【スキマはゼロセンチメートル】というフレーズを使用している。そして上記のフレーズはラスサビ、アニメで流れない部分の歌詞である。
【スキマは】から【すきは】に繋げてくるのはあまりにも強さがすぎる。

だが、この場において最も特筆しなければならない点は他にある。それはこのアニメのOPに共通して登場する言葉がある
この繋がりには特筆しなければならない。そう、その言葉とは【特別】だ。

特別だなんて
思ってたって言わないけどね。

言わないけどね。/大原ゆい子

知ってる?
私は案外分かりやすいからね
特別はいくつもないの

ゼロセンチメートル/大原ゆい子

目が合うずっと前から
まっすぐ見ていたのよ
特別になる気がしていて

まっすぐ/大原ゆい子

分かるな、どんどんストレートに「特別」に対する感情を伝える様になってきていることが。更に言えば3期OP【まっすぐ】においては西片にとっての「特別」になりたいといった意を示している。
ある意味で、「からかい上手」な高木さんのイメージとして最も合うものはやはり【言わないけどね。】の歌詞だ。
だが等身大の高木さんとしての感情は【まっすぐ】に近づくにつれて濃くなっている。ここからもやはり前述した2人の関係性の変化と高木さんからの距離感の変化を見て取れる。

OP跨ぎの歌詞のリンクとそれによる関係性の変化を表現しているのも非常に作品そのものに対する理解度は凄まじい。そしてこうなると当然気になるな。完結編でこの「特別」がどうなるのかを。

「からかい上手」の探す【会いたいの代わりの言葉】

会いたいの代わりの言葉
探しているの

言わないけどね。/大原ゆい子

ここで言う【会いたいの代わりの言葉】が何か、もう言う必要もあるまい。そうだ、その言葉こそが「からかい」だ。
本編で見られるからかいの言葉や勝負のやり取り、それらに当たる言葉がこの一言で完璧に表現されている。
このフレーズの表現は本当に秀逸で芸術点が高い。ちゃんと本編を見て2人の関係性を理解していればそれがなにか即座に理解することが出来る。だが2人のことを知らなければ答えが何か分からない。
確固たる関係性と作品の雰囲気を完全に理解していなければ出てこないフレーズだ。
劇場版においてはより高度な状態である「理由がなくても会える関係」を求めることにフィーチャーしていた。
この前提を踏まえれば更にもう一歩踏み込んで思考を回すことができる。「からかい上手」という言葉の真の意味を。

高木さんは常に西片へのからかいを探しているということだ。そんなことは本編を見れば分かる、その通りだ。
傍から、いや適切な言葉へ言い換えよう。西片から見たら「からかい上手」に見える。西片が勝負のネタを探したりしているように高木さんもまたからかいのネタを探しているのだ。
そう、「からかい上手」とは客観的な評価ですらない。ただ一人「からかい」の対象である西片からの評価である。

それはもうこの作品の根幹であり表面であり全て。そこへも通じているのだ【言わないけどね。】は。この圧倒的な原作理解度とそこに対する表現の芸術点。これが最強のOPでないならなんだと言うのだ。 
もちろん全ての主題歌にそれぞれ良さがあり美しさがある。それでもやはりこれほどまでの奥ゆかしさと芸術点と原作理解を共存させているのはあまりにも見事としか言いようがない。
ぜひアニメ完結編では【言わないけどね。】へのアンサーソングをOPにしてもらいたい。ちなみに【会いたい】絡みの歌詞の部分は【サンタになりたい】においてからかうようにしか【会いたい】と言えないことに対する言及がされている。

最後に公式がお出ししている最強のOPMVを紹介したい。1期だけの内容ではない、もはやその全ての関係性は歌詞に込められている。

故にもはやこれ以上の言葉は不要だ。ここから先の領域を言うことは無粋、私の口から言うことは出来ない。

いや

───”言わない”


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