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「そんなこと」禁止令を自分に課している理由

小さいころ、親に言われて嫌だった言葉のひとつに「そんなこと」という表現がある。「そんなこと気にしてもしょうがない」「そんなことでイチイチ…」「そんなことをいつまでも…」
今なら分かる。私にとっては、「そんなこと」ではなかったから、聞いてほしくて、慰めたり共感したりしてほしくて言ったのだ。

先日、義母が誤嚥性肺炎で入院したことを書いた。ちょうどそのことが判明した直後に、伯母から電話があったけれど、言わなかった。その後、母からも電話があり、母には入院のことを伝えた。数日後、伯母からまた電話があり、「(義母が)入院したんだってね。お見舞いに行ったんだってね」と言われたのだけど、私は正直、嫌だった。義母の病状は、伯母は知らなくていい。だから、私は言わなかったのに。
ついでの電話があった時に、母に「病状もまだはっきりしないし、そもそも伯母にまで、その話をしないでほしい」と伝えると、「いいじゃない、そんなこと。連休の話のついでに言っただけ。別に大したことじゃない」と。

今まで以上に、明確に猛烈に嫌悪感。「そんなこと」かどうか、「大したこと」かどうかを決めるのは、私ではない。いつも母だった。それを、今になって、とてもとても思い出すのだ。
母は、変わらない。変わる気もなければ、変わらなければならない必要性がどこにあるのかさえ、分からないし、考えたことさえないだろう。
「ごめん」のひと言があれば、溜飲は下がったのに。

私は私に「そんなこと」禁止令を課している。息子には特に絶対に言わない。大切な気持ちを「そんなこと」と片づけた相手に、二度と心を開けなくなることを知っているから。
「そんなこと」が「そんなことじゃなくなる」のは、軽い気持ちのそんなことからなのだと思う。

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