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超理論派にとっての恋愛感情

こんにちは。サドンデス形式のゲームってスマブラでしかやったことがありません、みうです(いきなり物騒)。

今回は恋愛について話します。概して「恋愛は難しい」「理論派には疲れる」「でもやっぱ素敵」しか言いません。そんな私の言い分を聞いてくださる優しい方、ありがとうございます。そんな奴の言い分は聞かないという方も、ここまで読んでくださりありがとうございました。

それでは参ります。

1 on 1 (サドンデス)

私は恋愛経験が乏しく、お付き合いしたのも1度きりです。付き合ってみて実感したのですが、恋愛って難しすぎませんか、疲れませんか(唐突)。
ひとりの人間との、1対1の、年中無休の真剣勝負ですよ?

相手と良好な関係を保つには:
・相手を喜ばせるために、あるいは自分が「あの人の彼女」であることによって、日頃の立ち居振る舞いや言動、服装にだって気を使わなくてはなりません。
・相手のことも理解してあげなくてはいけません。理解できなくても受け入れなくてはいけなかったり、その姿勢を見せたりする必要が時にはあります。
・隠し事をするとよく怒られるので、鞘のある言葉は言えませんし、いざとなったら頭の中を全部開示する覚悟も必要です。1対1のサドンデス。名の通り、言葉一つで掌がひっくり返って突然死(突然の別れ)に至ることだってあります(よね?)。

そういう低次元で考えているので、私にとっては愛とは「おいしいらしいじゃん?」程度のものなのでした。

(心の声:これって人間的に悲しいんだろうな。知らない間に相手を不幸せにしてしまう系の人間なんだろうな。全人類・全生命に申し訳なくなってきた。マントルから拡声機使って謝罪会見開きたい…。)

致命傷:コンベアの発注ミス

どうして私にとって恋愛が難しいのか。
自身の思考回路に関して、最近気づいたことがあります。

私は、理論ベースの思考があって、その上に理論を重ね、論理的判断をして実行に移す傾向が強い人間です。この一連の流れを理論コンベアと名付けましょう。
理論ベースの思考をもつというのは、「〜ねばならない」、「〜すべきだ」、「〜するのが自分の中での常識だ」といった義務感や自分の中での規則が無意識に最優先されている、あるいはそれらによって動く傾向があるということです。

この理論コンベアが、恋愛という極めて人間的、感情的なものにも適用されてしまうのです。

好きという感情は、理論コンベアにはうまく乗らないのです。本来は感情コンベア(:自分が感じるままのものを最優先しつつ(感情ベース)、論理的判断を加味して実行に移す、という一連の流れ)に乗るべきです。多分。
それなのに、感情コンベアがうまく機能しないからといって、理論コンベアに乗せてなんとか運んで、無理やり理論を重ねて、論理的判断をして実行に移そうとするのです。それで、きちんと機能する感情コンベアの持ち主である相手との感性の極端な違いが生まれ、すれ違う、と。


発注ミスです。感情コンベア、中古品なのでは…?
あるいは初期不良?あるいは…物使いが荒い?


私はこの致命傷に、恋愛を通して気づいたわけではありませんでした。
何か物事を始めようとした時、だいたい「義務感」で動いていることに気づいて、この発注ミスを実感したのでした。ちゃんと発注書確認しとけよお!!

感情コンベアがうまく機能しないから、うまく人の機微も捉えられない。
したがって、人間関係(特に恋愛)は苦手だと感じてしまうのだと思います。


「愛することに理由はいらない」といった類の言葉がありますね。おそらくそれは正しいのでしょう。人を好きになって、愛することに明確な根拠なんて要りません。私にだってその言葉は美しく聞こえますし、そうなるくらいの大きな愛を誰かに注げる日がきたら素敵です。

でも今の私はきっと、愛することに理由という理論じみたものを求めてしまうのだと思います(いわゆる「冷めるわ〜」って言われるやつです)。理由とまではいかなくとも、何をもってして愛することになるのかという境目を明確にしないと、そのわだかまりが、うまく機能している唯一の理論コンベアの故障の原因になってしまうのだと思います。

皆さん、コンベアは大事に使い、定期点検を怠らぬよう。

恋愛の醍醐味

感情コンベアがいまいちポンコツの私、感情を理論コンベアで運んでしまう私でも、人間なので感情自体はもちろんありますし、人を好きになることもあります。リアルの友人関係で言えば、長い時間を一緒に過ごすことでその人の性格がわかって、それを基にして徐々にその人を好きになってきました。そしてさらに親交を深めていく、と。
恋愛だって同じです。でもそこに「恥ずかしさ」という、絶対に理論コンベアに乗せてはいけないものが加わってくるから、同じようにうまくするすると流れてはいかないのです。最大積載量は守るべき。

ここまでサドンデスとかいう物々しい表現をしたり、コンベアの話を延々としたりしてきましたが、愛って結局、多分、コンベアなしで勝手にごろごろと流れてくものなんだと思います。そしてサドンデスはサドンデスに変わりありませんが(…)、そのやり取りこそが恋愛の醍醐味なんだと思います。

あー、素敵な人間になりたい。切実な思いですね。
恋愛ってなんて難しいんだろう。というより、なんて私の感情コンベアはボロいんだろう。
どちらのコンベアに乗せなくてもうまく転がる愛にいつか巡り会えたら素敵ですね。

人を愛することは、相手と人として付き合うこと、
人として付き合うことは、相手の一番を考えること

これは、感情コンベアがボロい人間が自分なりに考えたことです。

冒頭、1 on 1なんて言いましたが、自分対相手で向き合うのです。それってきっと、人として付き合うということになります。

人として付き合うというのは、相手の隠された性格をあの手この手で知ることだったり、相手の短所も長所として自然に捉えるようになったり(あばたもえくぼってやつです)ということだと思います。
そしてそのステップがある上で、見返りは当然求めず、相手のためにこうしてあげようとか、相手にとってのベストを自分の手で作り出したいとか、相手が幸せだと感じることの手伝いをできる範囲でしたいとか、そんな風に考えることが、愛することだと思うのです。

…いかにも理論コンベアで処理した思考っぽいですね。


と、長々と語ってきましたが、うまくまとまりませんね。
いつか愛を実感した時にこれを読み返したら、鼻で笑いながらもその恥ずかしさでデバイスの液晶を叩き割りたくなるでしょう。
でもいいんです。今、この段階ではこの程度だと思っていたんだ、という証明になりますから……というもっともらしい理由づけをして、今回の結びといたします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。