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「コロナ脳」だらけの中で

・お母さんが目覚めていれば、家庭が救われる。しかし、「覚醒の道は苦難の道」でもある。

・もう何というか、調べすぎて、知り過ぎて、それが逆にストレスになっています。

・一度知ってしまったからには、従順な羊でいることはできない。

コロナ禍の学校生活

本当に、おっしゃる通り。

私はたまたま茶番前に仕事を辞めたし、学齢期の子どももいないし、孫もいない。「”コロナ脳”はめんどくさい」と思って、「コロナ脳」だろうと思われる人からのお誘いはすべて断った。私から声をかけることもない。だから、お茶するような友人はゼロになった。子どもが近々結婚するから、「コロナ脳」の身内だけは、仕方ないのでつきあっている。だから、なんだかんだと言って、ラクな位置にいる。学童期にあるお子さんがいる家庭は、親も子も本当に大変だと思う。


*「コロナ脳」の人に対して

初めは、「コロナ脳」の人にも気づいてもらって、健康被害を受けないでほしいと思った。厳密にいえば、茶番前で「コロナ」の話ではないのだけれど。素朴な親切心からだ。「私と同じ過ちをしないで」って。でも、全て撃沈。実はこの茶番については、ほとんど何も言ってこなかった。原理は同じだから、何を言っても無駄なことが分かっていたから。家を出ていた息子たちについては、もうしつこいくらい書いたから、ここでは書かない。

私からすれば、バカバカしい宗教儀礼だから、マスクなんてしたくない。でも、「”感染症対策”にご協力ください!」というエリアに入るときはマスクをし、出たら速攻ではずす。ちょっとサービスのいいお店に入ると、従業員さんが消毒液をもって待ち構えていたり、無遠慮におでこにレーザーを当てようとする(もちろん、額をよけて手首を出す)。「いろいろと対策してま~す」を見るにつけ従業員さんも大変だなとは思うけれど、従業員さんの中で目覚めている人がいたら、本当につらいと思う。

それらの一つ一つが嫌なんだけれど、打つ、打たないの話も本当にイヤ。認知症の父は会うたびに打ったほうがいいとしつこい。姑が打たないのは私がそそのかしたからだと信じていて、何度言っても同じことを言う。

妹は、親戚の集まる食事会を欠席すると言ってきた。それなら私もと他の「コロナ脳」も次々と欠席となって、会を中止することにした。「コロナ脳対策」にうんざりしていたから、主催者の私は内心ほっとしている。私は悪くないもんね~(笑)

これを機会に「コロナ脳対策」をやめることにした。

ちなみに、私は「認知症」という”病気”は認めたくないと思っている。でも、父は「認知症」と認定されて喜び、「俺は”病気”なんだから話を聞け」という態度。こちらも父の”病気”を理由に防御することにした。情けないよね~、一人の人間として扱わないってことだから。

認知症になったらテレビを禁止にするべきだ。テレビを見たらバカになる。脳の”病気”なんだから、その危険性も分からず、ますます認知症を進める。薬の前にテレビ禁止だろう?まあ、薬を売りたくて「病名」をつけるのだから、テレビを禁止するワケないけどね。こういう図式が見えてきたら、現行医療ってつくづく虚構だと思える。


話が逸れたが、私はもう「コロナ脳」の人を説得しようと思わないし、”「コロナ脳」対策”もしない

次の段階だ。今までは「コロナ脳」から逃げ回っていた。でも、息子たちをあきらめたら、「コロナ脳」であってもつきあいたいと思う人はゼロになった。これって、最強~。

あなたたちの宗教には乗らない。イヤならつきあいを切ってもらえばいい。それ以外のところでつきあおうと思ってくれるなら、それは大歓迎だけど。

という態度を取ることにした。この態度を貫く先に何があるかはわからない。こんなくだらない宗教にのみこまれるくらいなら、死んだ方がいい。そういう態度が誰かの励ましになればいいと思う。少なくとも、今のところ娘への励ましにはなっているようだ。


学童期のお子さんのいる家庭は本当に大変だと思う。ふと思ったのだけれど、今は戦時中だから、疎開ということを考えてもいいのかなと思った。私はこれから引っ越すし、姑が生きている間は家を自由にはできない。今は特に何もできないけれど。受け入れ先は案外あるんじゃないかと思う。心配している人は多いと思うから。ホームスクーリングだとか、高校なら通信制もあるから、そういうものを利用しながらね。

大変だと思うけれど、頑張ってください。


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