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巻き込まれないための対策

就職したら赴任地が辺鄙な田舎で、帰省するのも一苦労。そんな次男が帰ってきました。理系の修士で、人一倍の努力家ですが、コテコテのコロコロ脳です。色々と言ったのですが、全く聞く耳を持たずでした。「ウチの母は反ワク派で困る」という目で見ています。反コロは低学歴、低収入、低脳。国立大卒なのにどうしてだ、困ったものだとも言われました。長男が職域であっさりと打ってしまった時も一人で泣きましたが、次男をこのように育ててしまったのは、私だと思うと情けないし、悲しいです。

私は実家の親からたたき込まれた学歴主義が骨の髄まで染みこんでいて、のろいのように私を苦しめていました。私の中から学歴主義を完全に追い出すのに10年以上かかりました。ようやく追い出したころには、次男は私たちの元を離れていました。努力が大事と、努力家の彼を褒めて励ましたのも私です。それがこのような結果となりました。

未接種の娘、つまり次男の妹の体調があまりよくありません。処方薬でもシェデイングがあることを実感している私は、次男が入ったあとのお風呂のお湯を抜きました。以前ならば、水代やガス代のこともありますし、何の迷いもなく続けて家族が入っていました。彼は3回目を打っているでしょうから。



この記事で、「それぞれ別々の道をいきましょう」と書きました。今、時間が経つにつれて、いよいよその「別れた道」を実感するようになってきました。

「救う」から「見届ける」へ


竹内さんと全く同感どころか、私はさらに巻き込まれないための行動を取ることにしています。たとえ相手が我が子であっても。もちろん、これから先、次男が体調不良になったり、私より先に逝くことになる可能性が高いというのは、生んだ人間としてこれ以上の悲しみはありません。でも、彼は自信をもって、胸を張って、そちらに進んでいくのですから、それが彼の幸せだということです。ならば、悪影響を受けると思うことは、そっと避けるまでです。他人ならまだしも、生んだ子に対しても「巻き込まれないための対策」をするという悲しみは、誰も想像できないと思います。





昨年、三輪山に登拝してから、よく山に行くようになりました。悲しみを預けにいくのも一つの目的です。


何度も書いてきましたが、私は長生きしたいとは思いません。でも、”からくり”に気づいてしまった以上、あちらさんに乗せられるのは絶対にイヤなのです。できる限り、不服従を貫きたいと思っています。病気になって、病院にでも行けば、あちらさんの思うツボですから、病気もできません。

雑事をこなして、勉強をして、それ以外の時間は全て自分のメンテナンスの時間です。テレビを見る暇もなければ病院に行く暇もありません。山に行くのも自分のメンテナンスのためです。そうやって、悲しみや穢れを預かってもらって、清氣なのか何なのか分かりませんが、パワーをいただいてきます。

今日も娘と近隣のそれほど高くない山に登りました。私は最近、痩せすぎで体力が落ちたこともあって、最初は娘のペースについていけなかったのですが、だんだんと足が軽くなって、スイスイと登れるようになります。運動不足の娘のほうが「待って!」という始末です。こういう体験は、わりと多くの人が実感しているのではと思います。



昨日、久しぶりに次男に会って、自ら進んで川向こうの道を歩いていると実感しました。そうなった以上、彼に言うことは何もありません。ただ、こちら側のために、「巻き込まれないための対策」はするということです。

私も子どもたちも、幸せないい時代に生まれたと思っていましたが、とんでもない時代に生きているということです。

それでも、年金が月額5000円減ったと嘆いたり、年金だけでは暮らしていけない、上の世代はたくさん年金をもらっていてずるい、・・・と言いながら、手厚い福祉の中にいるGHQの被害者にはならなかったことが、救いです。

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