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植民地

気の毒なイギリス人たちは支配する気持ちはありませんでした。カンパニーの人たちを助けたのは誰でしたか?カンパニーの人たちの銀を見て誰が誘惑されましたか?カンパニーの商品を誰が売っていましたか?歴史は証明していますが、私たちこそがそれをすべてをしていました。お金をすぐに手にする目的で私たちはカンパニーの人たちを歓迎していました。

『真の独立への道』M.K.ガンディー著 p44

この話は昔の話で、イギリスに植民地支配された”気の毒な”外国の話なのだろうか?

他人事ではない。

この茶番が収まらないのは、いまだにだまされ続けている人がいること、これを商機として稼いでいる同朋がいるからだ。引用した部分は、『真の独立への道』の「インドはなぜ滅んだか」の章に書かれているものだ。

我が子を医療で傷つけてしまい、薬害を知るようになった。そのうち、この国は植民地だということが身を以てわかってきた。かつてのインドよりも、もっと巧妙に仕組まれている。この茶番になって、これだけわかりやすく見せつけられても、そんな大げさな!と言う人は多いのかもしれない。いや、いまだに○ロナに対しての偽りの危機感を持っている人のほうが多いのかもしれない。そうなると、それ以前の話だ。

私が「この国は植民地だ」ということを理解したのは、それなりに歴史を知っていたからだと思う。少なくとも、知ろうとしていたからだ。今と同じようなことは、歴史上にいくつも転がっている。「歴史は繰り返される」というけれど、歴史から学んでいないから同じことを”やられて”、同じように悲惨な状況になる。

「歴史に学べ」といつもおっしゃっている吉野先生も、同じようなことを思っているのかもしれない。街頭演説で「植民地」という言葉を使った。


「日本は植民地である」と聞いても、人によって捉える深さが違うと思う。深い危機感を覚えた人は、ガンディーの著作に注目してほしいと思う。

最初にガンディーの著作を読んだとき、ガンディーはどうしてここまでストイックなことを言うのだろうと思った。でも、今の状況を見ていて、脇が甘ければ突っ込まれるということをひしひしと感じている。だから、脇を締めるためにはストイックであるのが一番なのだ。

では、その「脇の甘さ」とは具体的にはどういうことなのか。それは二つあると思う。

一つは、ガンディーも言っていることだ。一番の問題は、恐喝まがいなことをして売りつけてくる外国資本ではなく、同朋を売って小金を稼いでいるこの国の人だ。今の日本では、「お金儲け」に一番の価値を置き、そのほかのことは取るに足らないことだいう考え方が支配している。手段がどうであれ、お金儲けしている側に罪悪感もなければ、周囲も特に問題にしない。

もう一つは、自分の罪や、搾取されていることや、被害に気づいたときに、「自分は悪くない」とすることだ。自業自得ならばまだいいが、それによって他人、特に将来の世代に対して弁解するのは、「情けない」の極みだ。

とは言っても、脇の甘い周囲と私では温度差がありすぎる。仲違いをしてしまえば、それで終わりになってしまう。聞く耳を失ってしまうことになる。だから、あまり言えない。そのしんどさを解消するために、修行っぽいことをしているというワケだ。ガンディーは、誰よりも自分に対して厳しかったと言われているが、それが一つの理由かもしれない。

で、私は、どういう戦いをするのかということだ。だんだん見えてきたところかな。これについては、また別の機会にでも。



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