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共同幻想

みずから病気を創っているのに、あたかも治したように思わせる。
宗教であるかのように。医療の罪は重い。
もちろん、患者にもメリットはある。
依存という安心感と、病気のつらい症状を抑えてくれる。
そして死にゆく運命を書き換え、いわゆる『救ったいのち』もたくさんあるのだろう。
だからこそ、患者は依存性を強め権威をますます崇拝していく
はっきり言おう。治してはいない。症状の緩和と延命。ただそれだけである。
そして、自分の体を犠牲にしてまで追い求めた経済とやらは、実体がないものが多い。

(「もう言ってもいいでしょう」より)

本当は、全文引用したいくらい同意。ネットでは、こういった意見を見かけるが、リアル界で共有できる人は一人もいない。もうひとつ言えば、こういうことを堂々とおっしゃっている人は、その界隈では有名人だったり、フォロワーがどっさりいる人で、私のような隅っこ人間には手の届かない人。だから、ネット世界でもやっぱり一人。と言って、淋しいということは全くない。負け惜しみでもなんでもなく。

少し前まで、リアル界で共有できれば、どんなにラクだろうと思っていた。手繰られて、大事な命や健康を金儲けの対象にされ、損なっていくのを見るのが辛かったから。でも、最近は共有できなくてよかったとも思っている。人間にとって、信じていたことがひっくり返ることは、健康を損なうことより辛いということが、ようやく分かってきたから。宗教や信仰を変えるのと同じようなもの。


私も凡人、周囲も凡人。私も医療を信じ、この世界が手繰られたものである(=マトリックス?)など、夢にも思わなかった。


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映画「マトリックス」で、モーフィアスがネオに問う。
「赤いピルと青いピル、さあ、君はどっちを飲む?」
青いピルは、今までと同じ世界。
赤いピルを飲むと、真実の世界に目覚めることになる。

私は、薬が嫌いだから、どっちも飲んでいないし、飲まない!

じゃあ、何があって、何が違うのか?

① 過去に自我が崩壊した(自分が薄い)
② M的思考
③ ここに至るまでそれなりの時間がかかった

勘のいい人ならば、赤いピルを飲まなくても、また、私のような体験、思考、時間の消費がなくても、理解できるのかもしれない。私は結果として、そうなった。だから、お花畑にいる人たちには無理だと思う。痛みがあるからね。映画の「マトリックス」だって、人を選んでいるものね。


①から③について、具体的にはどういうことなのかを、簡単に説明してみる。まず、①について。心理学が流行っている(流行らされた?)からだろうけれど、「個人が大事」とか、「主体性が大事」だとされる。この思考は不幸になる。私もそうだったけれど。学校でやっているからね。

「私らしく!」なんて、結局、”他人の目に映った私”の集積。自分を掘っても掘っても、玉ねぎをむくようなもので、「本当の自分」なんて出てこない。それをやり続けていたら、病むに決まっている。で、精神医療へGo!となる。ここでも顧客創出だ。そして、「自分」に忙しくなると、物事が見えなくなる。そこへ共産思想が忍び込む。

私が「自我が崩壊した」というのは、「個人」だとか「主体性」が崩壊したということ。心理学も捨てたから、とても身が軽い。

”精神が病む”のは、「個人」だとか「主体性」の部分。そこがないから、病みようがない。社会やこの世界が病んでいるから、私も病んでいるといえばそうだけれど。だから、なんとかするなら、社会やこの世界をなんとかしなければいけない。絶望的に末期だけれど。


②については、どこまで引き受けるかということ。例えば、子どもに液体を打たせて、子どもに健康被害が出たらどう思うのか?たぶん、次の三つのことを思うだろう。

⑴ 運が悪かった
⑵ 医者が悪い、政府が悪い
⑶ 打ちに連れて行った私が悪い

⑴か⑵を思う人が多いのではないかと思う。「しょうがなかった」と。周囲もそう言って、慰めてくれる。⑶は自分に責があると認めることなので、痛みがある。で、⑶を思う人は「M的思考」と言ってみた。

でも、子どもからすれば、「しょうがなかった」は大人(親)側の言い訳にすぎない。

結局は「しょうがなかった」を子どもに飲んでもらうしかないのだけれど、自分が悪かったとなれば、子どもに謝るし、二度とそのようなことをしないために、どうしてそうなったかを検証する。自分が騙されていたことに気づくことは、気持ちのいいものではない。私も一つめを乗り越えるまで時間がかかった。乗り越えてしまえば、その後は、早い。

⑴、⑵は他責だから、痛みもなければ、自分が変わることも永遠にない。映画「マトリックス」であれば、青いピルを飲み続けるということだ。


一つ目を乗り越えると、世の中のカラクリが少しずつ見えてきた。そのうち、「ちょっと引っかかるな」と思ったことは、却下せずに保留するようになった。辻褄の合わないことは、だいたい裏がある。後になって必ず、答え合わせのときがくる。1か月後、1年後、5年後、それ以上のときもある。

「ああ、そういうことだったのか」ということが何度もあった。そうして、毎回、衝撃を受ける。私ってバカだね~って。

余談だけれど、映画「マトリックス」も「聖書」を下敷きにしているらしい。バラバラだった私の気づきも、「聖書」で1本につながった。


「③ここに至るまでそれなりの時間がかかっている」については、①の「自我の崩壊」があってから7,8年して、ようやく一つ目を超えたから。


*****

もちろん、お花畑にいる人たちに、赤いピルを無理強いすることはできないし、赤いピルを飲ませたら過激すぎて、死んじゃうかもしれない。私の周囲を見ているとそう思う。隅っこ庶民の私がかかわるようなことではない。

長い時間をかけて仕込まれた3S政策などのたまものだろうね。大成功だよ。昔の日本人は、私たちより精神性が高かっただろうから、赤いピルを飲まなくても気づいた人は多かったと思う。

きっと、ご先祖さまたちが草葉の陰で、泣いているよ・・・

ビジネスマンは、「孫子」が好きだと思う。「孫子の兵法」に、チャンチャンバラバラするより、デマを流すなどをして敵をかく乱させて、戦わずして勝つのが上策だという話がなかったっけ?あれを時間をかけてやられているのに気づかないのかなって思う。おバカだとされている専業主婦にそんなことを言われたら終わりだよ・・・

情けないけれど、もう末期。だから、気づいた人、特に若い人は本気で逃げてほしいと思う。そうやって逃げることで、気づく人もいるかもしれないしね。


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