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なーんだ、子供も大人も同じではないか。

「子供は純真ではない。」
と、ある本に書かれていた。
私にはこれが引っかかって仕方なかった。

子供は純真ではないだと?
子供は固定概念の塊であるだと?

私のモットーのひとつに
「子供のように、ピュアな心でいること」
があったから、なおさらだ。
私の中には、なにやら、子供=純真というイメージが植え付けられていたようだ。

そこで、今一度考え直してみることにした。
すると、確かに子供は、無性に他の子供と比べたがり、一番を欲しがったりする。

子供は防衛本能のために、自分と似ていない人は敵だと見なすように出来ているそうだ。あの子は自分とは違うからだめだと考えるように出来ているそうだ。そこから、数々の固定概念が生まれてくる。

では、大人とはなんだろう。
大人とはもしかすると、そういった固定概念から脱却していくことなのかもしれない。
「正義と悪がある」という考えから抜け出したり、人と比べることは出来ないんだと気づいたりすることなのかもしれない。
そう思うと、大人になるにつれ、邪念やけがれのない心を取り戻していくことになる。

でもその逆でもあると思うんだ。大人になるにつれて、世界のけがれを、不平等さを知っていくことになる。


子供は純真ではないが、クリエイティブだ。
お風呂では名前のない遊びを沢山編み出すし、何も無い公園でいくつもの楽しさを見つけるの。
大人はたいてい真逆。
何も無い公園だったら、何もないなと考える。
何もせず、ただ座って、最近こうだとか、仕事がああだどか、考える。いつの間にか、何故自分は生きているのかとか、世界とはなんだろうとかまで考えてしまう。
ああ、大人は頭の中にクリエイティブが溜まっているのかもしれない。
名前の無い遊びを頭の中で繰り広げているのかもしれない。

なーんだ、子供も大人も変わらないではないか。
穢れと純白の間で今日も、戦っているのかもしれない。
なーんだ、子供も大人も、誰かが勝手につけた名前ではないか。
そんなものに縛られていたのかずっと。

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