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大雑把かもしれない


このページをひらいてくださってありがとうございます。
みゃうです。



最近、自分は大雑把なのではないかと思うようになりました。

一分単位できっちり行動するのは窮屈に感じるし、

一円単位のお金の計算は面倒に感じるし。



ずっと自分は几帳面だと思っていたので、

大雑把かもしれないと思い至ったときは意外でした。

しかし、よく考えてみると、

私は几帳面でもなんでもなく、

最初から大雑把だったような気がしてきました。



幼稚園生のころ、みんなで塗り絵をしていたとき、

私は一番に塗り終わりました。

自分としてはうまくできたと自信満々でした。

しかし、意気揚々とできあがった塗り絵を母に見せたところ、

「雑!」と一蹴されました。



そう、私は昔から雑だったのです。

丁寧さよりも早さを信条に生きてきたのです。

それが、几帳面な母と時間を共にすることで、

徐々に几帳面になっていったようです。



几帳面は悪いことではありません。

物事を丁寧に進めることは、誇るべき美点です。

しかし、生まれついての大雑把な私には、

どうにも合わないようです。



合わないことを続けていても

ストレスが溜まるだけで何も生み出さないので、

几帳面をやめようと思います。

とはいえ、長年自分を几帳面だと思い込んでいたので、

本来の私の行動パターンは未知です。

まずは、数字に関して大雑把になってみようと思います。



このように思い込んでいただけで本当は違うということは、

他にもあるように思います。

私は自信家で、自惚れで、

理想に向かって努力を惜しまない人だったので、

本来の自分と異なっていることが多いと思います。

努力して理想に近づくのは素敵なことですが、

自分に合わないことを強制すると苦しくなるので、

なるべく取り除いていきたいです。



自分に合う生き方をするのが最善だと思うので、

当たり前を疑い、

今までの自分を観察し、

行動や考え方をアップデートして、

自分らしく生きていきたいです。




最後まで読んでくださってありがとうございます。

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